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後書

 國語國字はなるほど國民全󠄁體のものである。だからと言つて、誰もが同資󠄁格で國語問題を論じてよいと考へるのはをかしい。米は國民全󠄁體のものである。交通󠄁機關も國民全󠄁體のものである。が、米の製法、改良、效用等について、電車の構󠄁造󠄁、原理、運󠄁轉技術󠄁について、誰もが同等に發言しうるものではなく、それぞれの專門家に任せるべきであり、事實さうしてゐる。米や電車と言葉とはどこが違󠄂ふのか。一口に言へば、前󠄁者の利用には金がかかり、金を獲得するには勞力が要󠄁るが、後の修得使用共に無料であるといふ事が、いや、さう錯覺してゐるが違󠄂ふ。なるほど寺子屋時代でも、またその前󠄁の無敎育時代でも、日本人は生れ落ちるとおのづから勞なくして日本語を喋つてゐたし、今日でも大學敎育を受󠄁けた者が義務敎育しか受󠄁けない者より、上手に國語を操れとは必ずしも言へない。むしろ逆󠄁の現象が見られる。一人前󠄁の話し方敎育は學校においてでなく、社會において行なはれてゐるのが實情󠄁だからである。

 國語國字も、いや、國語國字こそ、その習󠄁得には相當な修練が要󠄁るのである。また、その是非や改良について口を出すには、專門的󠄁知識を、少くとも常識を前󠄁提とする。その第一は國語國字の本質や成󠄁り立ちに關する國語學的󠄁常識である。第二は、國語國字問題の背景や歷史に關する常識である。第一については私は既に『私の國語敎室』において不十分ながら、その解明󠄁を試みた。第二についても、そのなかで僅かながら觸れてはおいたが、それは不十分ち言ふにも足りぬほどのものであり、なほ末節のことではあるが、多少の誤󠄁記も無いでもなかつた。ここに國語問題協議會主󠄁事土屋道󠄁雄君の協力を得て、その缺を補ひ得たのみか、ある意󠄁味では最初の國語問題全󠄁史と稱し得るものを書きえたと自負してゐる。改めて土屋君の協力に感謝する。

 なるほど、二三の類書がないではない。がそれらはすべて國字の假名文字化󠄁やローマ字化󠄁を目的󠄁とする表音󠄁主󠄁義者によつて書かれたものであつて、その立場から「好都合」な事しか書かれてゐない。つまり、自分達󠄁が答へに窮するやうな反論は無視して、これに觸れず、國民の耳に屆かせまいといふのがその人達󠄁の常套手段であつた。しかも、それらはいづれも「客觀的󠄁」な裝ひをもつて貫かれてゐる。もちろん、私も自分の立場にとつて「好都合」な方法を採󠄁つた。が、それは表音󠄁主󠄁義者の場合と正に反對の行き方によつてである。と言ふのは、私は出來得る限り相手方の主󠄁張を、殊にその最も有力なるものを國民一般の耳目に觸れるやうに努めたからである。現實は、一見こちらにとつて「好都合」と思はれる相手方の主󠄁張を列擧したはうが、 つてこちらに「好都合」になるからに過󠄁ぎない。

 皮肉はさておき、「論爭史」といふ る論爭的󠄁題名と「論爭屋」と呼ばれる私の著者名とから、徒らに論爭的󠄁內容を豫想しないやうに讀者諸氏にお願ひする。私は問題の處理や批判󠄁よりもまづ兩者の主󠄁張を明󠄁かにするために資󠄁料を提出するといふ事を主󠄁目的󠄁にした。もちろん、さはりの部分しか乘せられなかつたが、一册の本においてこれだけの資󠄁料に直に觸れうるやうなものはこれまでになかつた事であり、その意󠄁味でも自負してゐるが、それも溫厚篤實な土屋君が傍にあつて、喧嘩早い私を始終󠄁牽制してくれたお蔭である。

 國語問題論爭は二つの相立する意󠄁見の中間に眞理があるといふやうなものではない。値上げや米價の決定とはその點が根本的󠄁に異なる。細部については意󠄁見の相違󠄂は幾らもあらうが、根本的󠄁な立場については、いづれかが是でいづれかが非なのである。讀者は喧嘩兩成󠄁敗の如き良識の假面を被つた事なかれ主󠄁義に陷ることなく、この書を讀んで後、「敵」か「身方」か、明󠄁確な立場に立ち、積極的󠄁に國民討論に參加して頂きたい。

 最後に、私はもちろん土屋君も專門家ではない。もつとも、國語問題史に關しては、曲がりなりにも表音󠄁主󠄁義者以外專門家はゐないのである。國語問題史とは一口に言つて表音󠄁主󠄁義運󠄁動史であるからだ。隨つて、いざ資󠄁料を探すとなると、容易に手に入れにくい。そのため引用した資󠄁料は出來得る限り原本に當るやうに努めたものの、なほそれが出來ずに止むなく孫引をもつて我慢せねばならなかつたものもある。國語問題においては、思ひがけない小册子に思ひがけない人が筆を取つてをり、それらの片片たる記事の大部分は散逸して、今日それを入手するのは殆ど不可能と言つてもよい。その意󠄁味においても、たとひ孫引でも一書に纏めて後世に殘しておきたかつたのである。ただ孫引のため、假名遣󠄁その他の誤󠄁りが誤󠄁植によるものか、原本通󠄁りのものか判󠄁別が附かないので、明󠄁かに誤󠄁植と思はれるもののみ訂正して、他はそのままにした。それは直接原本に當つたものについてもどうようである。もう一つ覺束ない事は索引における人名の讀みであろ。「海內」「元良」などウミウチかカイウチかモトヨシかモトナガか解らぬものが多く、これは適󠄁當に處理した。中には誤󠄁りがあるかもしれない。

 なほ、出版を考慮して、初め書いた原稿を三分の一に縮めたために、資󠄁料がありながら割󠄀愛せざるを得なかつたものもかなりある。

 『私の國語敎室』に續いて、このやうな賣れぬ書物を快く出版してくれた新潮󠄀社に感謝する。

昭和三十七年十一月󠄁十八日

福田 恆存

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