標準式綴方の決定 (三の7)

  「羅馬字會」は、明治十八年一月、四十名で構成された書方取調委員會を設置し、同委員中より、委員長に外山、副委員長に寺尾を、原案起草委員に、戸山、寺尾、矢田部、神田、イビー、チェンバレンを選出し、ローマ字綴方の決定に着手した。起草委員はヘボンやテヒョーの意見を參考にして、三囘の會合で原案を作成し、五囘の書方取調委員會を開いて、三月二十七日綴方を決定してゐる。 綴方決定の基本方針となつたのは、「假名の用ひ方に據らずして發音に從ふこと」、東京人の發音を標準とすること、「子字は英吉利語にて通常用ふる音を取り其母字は伊太利亞語の音を採用すること」の三項であつた。

   この綴方は、同十八年四月、「羅馬字にて日本語の書き方」として發表され、更に六月、矢田部良吉の名によつて『羅馬字早學び』として刊行された。これは、ヘボン式又は標準式綴方と呼ばれるものの原形であり、「クヮ」の音を認めkwaとし、「シ」をshi、「シャ、シュ、ショ」をsya,shu,sho、「チ、ツ」をchi、tsu、「チャ、チュ、チョ」をcha、chu、cho、「フ」をfu、「ザ、ジ、ズ、ゼ、ゾ、ジャ、ジュ、ジョ」をza、ji、zu、ze、zo、ja、ju、jo、「ダ、ヂ、ヅ、デ、ド」をda、ji、zu、de、doと書くところに特徴が見られる。

 


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