三宅雪嶺の漢字尊重論 (三の24)

  明治二十八年一月、三宅雄二郎(雪嶺)は『太陽』に「漢字の利害」と題する漢字尊重論を發表した。三宅は「今もし一國の國語を表するに新たに文字を採るごときあらは、漢字斷々乎として用ゐざるべし」と、一方において漢字の缺點を認めながら、「漢字を知らざれば、さしあたり思想交換の道を杜ぐ」「古を稽へ往を徴するに志ある者、漢字を知らずんば渡るに舟筏なきが如きことあらんか」「漢字の形に由りて其義を記憶するは甚だ難しとせず」と、漢字の利點を強調し、漢字を廢すべきでないことを説いてゐる。

  また三宅は同二十八年五月『太陽』に發表した「國字を論す」において

  * 假名は古今に通じて用ゐられたるも、其の象形的の漢字より利益ありといふは實に羅馬字の到來以後に了解せられ、其前には知識の主として支那地方と交換せられしが爲め、偏へに漢字を知るの必要を感じて、之を棄てゝ假名のみを用ゐんなどとは更に思考の及ばざる所なりき。

と、注目すべき事實に言及し、更に「其中に完全なる假名を得べしなど徒らに希望を未來に屬し、うかうか時日を費やして遂に實行の運びに至らざるなり」と批評してゐる。

  更に二十八年八月の『太陽』に發表した「漢字利導説」の冒頭で、三宅は「漢字害ありやと問はるれば、則ち然りと答へん哉、漢字廢すべきやと問はるれば、則ち否と答へん哉、利害論は必ずしも存廢論と相伴ふに非ざるなり」と述べ、漢字弊害論即漢字全廢論と心得てゐる改革論者の反省を促し、「漢字は勢に於て廢すべからざるなり、其勢を壓却するには巨大の力を」要するが、それよりも「寧ろ漢字を利導することを務めんこそ妥當なり」として、「如何にして漢字の害を減すべきか」「如何にして漢字の利を増すべきか」に專念すべきであると論じてゐる。次いで、從來學者は「漢字の廢止を唱へんとして而して後其弊處を穿鑿するの風あり」と、常に國字改良論が先にあり、言語文字に對する考察が後廻しにされてきたことを指摘してゐる。

 


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