上田萬年の「新國字論」 (三の27)

  上田萬年は、明治二十七年十二月『太陽』に「歐州諸國に於ける綴字改良論」を、翌年一月『帝國文學』に「標準語に就きて」を發表した。前者は、イタリヤ、フランス、ドイツ、イギリスなど九ケ國に於ける國字改良について概説したもので、後者は標準語を制定すべきことを論じたものである。二十八年六月に刊行された『國語のため』には、右の二篇の外に「國語と國家」「國語研究に就きて」「教育上國語教育者の抛棄し居る大要點」「新國字論」などが收められてゐる。

  二十八年五月、大學通俗講談會で行つた「新國字論」についての講演は、十、十一月の『東洋學藝雜誌』に掲載された。上田は、先づ簡單な國字論の歴史を述べた後、

  * 今日の私はどこまでも支那文字の樣な意字に反對であるのみか、日本の假名の樣な一の綴音を本とする「シラビック、システム」の文字にも大不贊成なのであります。それで敢て羅馬字とは申しませぬが、その羅馬字的の母音子音を充分に精しく書きわけることの出來る、「フォネチツクシステム」の文字といふものを、最も珍重するものであります。

と、自分の立場を明かにし、音韻學を盛んにしなければ、「新國字論の運動もはかばかしい進歩をいたすまい」と、音韻學の必要であることを力説し、音韻研究を基に「標準となるべき言語の中にある音韻組織を造りいだし、そして其音韻組織に對する新國字の選び方、作り方に着手してまゐりましたらよからうと存じます」と述べてゐる。このやうに、音韻學が新國字の制定を前提とし、そこに目標を定めて研究することは極めて違例のことで正常とは認め難い。

 


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