岡倉由三郎の改良論(四の7)

  讀賣新聞は、明治三十三年一月八日から月曜評壇に「國字改良に關する諸大家の意見」と題して、前島密、岡倉由三郎、三上參次、後藤牧太、芳賀矢一の意見を掲載した。前島は「國字改良に關する意見」(八日)と題して、先づ明治初年に各方面に提出した建議書について説明した後、國字改良の如き大事業は「私人私會のよく爲す所」ではないから、「先づ國中の學者を集めて國語調査會を設け、新に國字國文の體を定め」「之に關する御詔勅を請ひ奉り、同時に法律を以て之を國字と定め、官衙學校等にては新定字の外濫に漢字を用ゆるを嚴禁し」、古典をすべて飜譯せよと主張してゐるが、このやうに力を以て改革しようとするのも、力を以てすれば改革できると考へるのも、非常な誤りであり、かうした安易な考へのもとに改革を推進すれば、再び正常な状態に復し得ないやうな大混亂を招くことは必定である。

  次いで、一月十五、二十二、二十九日の三囘に亙り、岡倉由三郎の「國字改良に關する意見」が掲載された。岡倉はその中で

* 一朝漢字が廢止せられて聲音文字の世の中と爲たならば、人は皆耳を宛にする樣になる、其時に爲て出典の有無がどうであらうと、自然の制裁は決して言つて通せず、聽きて解せぬ樣な亂暴な熟語の流行を見遁して置く筈はない、それに見逃される者は是は皆通用の出來る筈である、それ故に漢字さへ廢して仕舞へば、漢語は故らに人爲で廢止しなくても、自然の淘汰に任して置いてそれでよろしい、

と述べてゐるが、言語に對する理解力は千差萬別であり、一口に耳で聽いて解る言葉と言つても、甲と乙、乙と丙との間で理解し得る言葉の範圍が違ふわけである。またある特定の言葉について考へてみても、その言葉がどのやうな文脈の中に用ゐられてゐるかといふことによつて、當然理解しにくくもなれば理解し易くもなるのである。さういふ言葉の特質を忘れ、漢字さへ廢止すれば、漢語は自然に整理されると考へるのは、あまりにも單純である。更に岡倉は「漢字廢止に就ては別に異論はない筈と思て居たにまだ較ともすると矢張其辯護する人がある」と述べてゐるが、確かに國字改良のやうな空理空論に對して、まともに相手にならうとする者は少なかつたであらうが、それを以て異論がないなどと考へるのはとんだ思ひあがりである。いやしくも新しく事を行はうとする者は、意思表示のない者はすべて反對者と見做すのが當然であり、またそのくらゐ謙虚でなくてはならぬのである。

  次いで、各種の改良論に言及してゐるが、結局岡倉の結論は「矢張平假名がよいのだらう」といふことである。ここで注意を要するのは、名詞にのみ漢字を用ゐ、形容詞、副詞、動詞などは假名で書くことを主張してゐることで、今日送假名と關聯してかういふ主張をする者があるが、その善し惡しは別として、これはその先驅とも言ふべきものである。更に岡倉は「假名遣についてもカウ、カフ、コウなどの區別は一切廢止して仕舞ふがよい」「又文體、此は勿論言文一致にせねばならぬ」と述べ、表音式假名遣と言文一致を主張してゐる。

 


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