「言文一致會」の結成   (四の12)

  明治三十三年三月、,林甕臣の發起により帝國教育會の内部に「言文一致會」が結成された。同會の會則第二條には「此ノ會ハ言文一致ニ就イテ研究シ其ノ實行ト普及ヲ目的トスル」とあり、役員には、林、三石賤夫(以上幹事)、尾崎徳太郎、後藤牧太、白鳥庫吉、新村出、湯本武比古(以上委員)などの名が見られる。また會員には、大槻文彦、岡倉由三郎、保科孝一など、國字改良論者が多勢參加してゐる。

  「言文一致會」の主旨は、林甕臣の書いたものによると次のやうになる。先づ

*  國文ハ  イマ   口デイフノト  筆デ  カクノトガマルデ   別々デアル タメニ  作文ニ  ムダナ苦シミヲ  ナシ   ムダナ時ヲ  ツヒヤスコトガ 一通リデナイ  ゼヒニ   言文一致ニ  セネバナラヌ  ソコデ  マヅ   第一ニ  漢語ヲ  ナルタケ ツカハヌヤウニシ   漢字ヲ ナルベク  ハブクヤウニ心ガケネバ  ナラヌ

と、言文一致と漢字漢語の排斥とを同一線上に据ゑ、それが實行されれば「教師ガ   講義スルニモ  字義ヲ  説明スルムダガ   ハブカル」と言ふのであるが、漢字を少なくすれば逆に語義の説明をする勞が増し、その理解が困難になることを知るベキである。ところで同會は言文一致だけでなく「國字ノ改良ヲ第二ニオキ   コレヲ附帶事業トシテ」ゐるわけであるが、「漢字ハ   カクノニ  時間ガ  ツヒヱ  マタ  習字ニムダナ   年月ト 氣根トガ  ツヒヱ  コトニ  字數ガ オホスギ   オマケニ  音訓錯雜ヲ  キハメテヲル」として「國字ハ   ゼヒニ  改良セネバ   ナラヌ」と、言文一致以上に熱のあるところを見せてゐる。    

 


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