棒引き假名遣の實施   (四の16)

  明治三十三年八月二十一日、文部大臣樺山資紀は、文部省令第十四號を以て小學校令施行規則を發表し、變體假名を廢止、字音假名遣を發音式に改め、漢字を千二百字程度に制限した。翌二十二日の官報に、文部省訓令第十號を以て「小學校令改正ノ要旨及其施行上注意事項」が發表されたが、それによると

* 小學校ニ於テ教授ニ用フル假名ノ字體竝ニ字音假名遣ノ例ヲ示シ以テ兒童ヲシテ簡便ニ實際ノ應用ニ資シ易カラシメンコトヲ期シ徒ニ複雜繁密ノコトノ爲ニ過度ノ心力ヲ費スコトナカラシメ且尋常小學校ニ於テ教授ニ用フル漢字ノ數ヲ凡ソ千二百字内外ニ於テ選用スルコトヽセリ   從來小學校ニ於ケル教授ノ實況ヲ視ルニ專ラ力ヲ文字ノ教授ニ盡シテ徳育上智育上肝要ナル事項ニ及フ能ハサルノ憾アリ   而モ猶文字ノ知識確實ヲ闕キ自在ニ之カ應用ヲ爲スヲ得ス

といふことである。字音假名遣を規定した第二號表によりその一例を示せば、「いゐ」は「い」、「えゑ」は「え」、「あう、あふ、おう、おふ、わう、をう」は「おー」、「ぼう、ばふ、ばう」は「ぼー」、「ちやう、ちよう、てう、てふ」は「ちょー」に改められ、「か、くわ」も「か」、「が、ぐわ」も「が」、「じ、ぢ」も「じ」、「ず、づ」も「ず」となつてゐるが、「くわ、ぐわ、ぢ、づ」は「從來慣用ノ例ニ依ルモ妨ナシ」と註記されてゐる。また第三號表に示された漢字と現行の教育漢字八百八十一字とではかなりの相違があり、教育漢字にあつて第三號表にないものに、ざつと調べただけで「兵典刊制刷副創努效勢勸協博司向員唱嚴」など「口の部」までに十八字もある。また右の棒引假名遣は翌三十四年四月から教科書に採用され、四十一年九月撤囘されるまで八年間實施されてゐるが、その間、字音假名遣と國語假名遣とを區別することの困難なこと、教科書と社會一般に行はれてゐる表記法とが異ることなどから、教育上に幾多の混亂を卷起してゐる。

 


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