時枝誠之と櫻根孝之進 (五の5)

  次いで同三年二月二十二日には時枝誠之の「國語國字問題解決案」が掲載された。先づ時枝は「本年新春に入りて本紙紙上に於て博士諸氏の名論出でゝ國語國宇改良の急務を説かれたりと雖も、何れも具體的に其解決案を教示せられざりしは頗る遺憾である」と述べた後,「漢語は日本語とは全く種類を異にし monosyllable で且つ noninflective である爲之を混用するに當りても單に物理學上の所謂混合に止まりて化學上の化合といふ點迄に融合することが出來なかった」と述べ、更に素質の全く異なる日本語と漢語とを混用してゐる限り、たとひ文字を假名やローマ字に改めようとしても出來るものではないとして、「日本語中に混用されて居る漢語を排斥して英語を代用すること」「日本文法竝に日本固有語を整理して大に其發達を計り同化力を強むること」「漢字假名を全然排斥して其代りに英語及ローマ字を用ふること」といふ三つの解決案の要點を擧げ、從來のローマ字説の缺陥として、日本における漢語の發音數は三百五十種ほどしかないのに、字數は五萬あるから平均して百四十の同音異義のものがあることになり、ローマ字で誤解せずに了解することは不可能であること、また漢語本位のローマ字では「現在よりも却て精確なる漢語の教育を要すること」などを擧げ、漢語の代りに特に英語を選んだ理由として、日本の地理的位置、英語が世界の一般共通語であること、英語は混成語であるから「英語を混用すると云ふことは自から世界共通語を混用することゝなる」こと、「英語の發達史は日本語の發達史に類似してゐることの四鮎を擧げ、最後に作例として「Dynasty no change ya, political power no transmission nado, chronology no material dake dewa history tosite sufficient denai」といふやうな一文を載せてゐるが.このやうな文章を自由に讀み書きするためには、日本語の知識の外に十分な英語の知識が必要であり、一般國民にとって難解である點は漢字假名交り文の比ではない。いづれにせよローマ字を採用すれば、英語のみならず佛語や獨語も混用されることにならう。

  また三月二十三日には櫻根孝之進の「新國字問題」が掲載された。櫻根は「歐羅巴人は何故子供の時から早く偉くなるかと云ふことを考へますると詰り其の國の教育の武器、即ち文字に非常な關係を有つて居ると私は思ふ」と斷定し、「そこで重い鎧兜のやうな六づかしい漢字を止めて、さうして手軽い便利な羅馬字を用ひたい」と述べ、次いで漢字の利害について考察した後「はらみをんな」「とりあげをんな」といふ言葉があるのに「妊婦」や「産婆」「助産婦」などを使ふのはよくないと憤慨してゐるが、「はらみをんな」などといふ下品な言葉が一般に愛用される氣遣はあるまい。更に櫻根は、ローマ字採用は「決して月の世界に旅行するやうなものではない。唯國民全體の決心一つで出來ると思ふのであります」と述べてゐるが、日本がローマ字を採用するより、月の世界へ旅行することの方が先に實現されようとしてゐるのは、何とも皮肉なことである。


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