金子・高田・西園寺・野上の國字論 (五の7)

  大正四年八月十七日の大阪毎日に掲載された金子直吉の「國字國文の改良に就いて」を始め、大阪時事新報その他に高田早苗、西園寺公望、藤澤元造、櫻根孝之進、野上俊夫などの意見が掲載された。

  金子直吉の提唱する文章は「フクザワ Professor(せんせい)ideograph(もじ)の teaching(おしへ). Japan(にほん)に かなの ideograph(もじ)ありながら China-character(かんじ)を mix(まぢへ)use(もちふる)は very(はなはだ)inconvenience(ふつごー)なれども・・・・・・」といふやうなもので、その讀み方に二通りあり、第一法は英語の上に附した假名の通り「せんせい」
「ふつご一」と讀ませ、第二法は英語の發音通り「プロフェッサー」「ミックス・ユーズ」と讀ませるもので、金子はその二様の讀み方を許さうといふのである。しかし、隠居が道楽にやるならともかく、これを一般に普及することなど到底できるものではない。

  次いで、翌五年一月一日、文部大臣高田早苗は「國字國文改良の急務」と題して、漢字を用ゐてゐるために「日本は今日政治外交經濟貿易の上で、どれだけ不利益を招いて居るか知れない。それに國内に就てみても、日本の子供、日本の青年は、此の漢字教育のために莫大なる損失を招いて居るのである」と述べ「我輩は元來ローマ字採用には大賛成である」と、ローマ字を支持してゐるが、現職の文部大臣が一團體の主張に輕々しく荷擔するのは不見識であると言はざるを得ない。

  次いで、西園寺公望は一月二日「羅馬字採用論」といふ一文を發表し、「ローマ字採用の可杏は今日最早問題にはならない」「歐羅巴の戰を觀れば如何に我國人に覺醒の必要があるかゞ善く分る、是時に當て猶ローマ字が善いの悪いのと謂ふ人は迚も與に國家の事を談ずるに足らない人である」と、議論の段階は過ぎ實施の段階であることを力説してゐる。

  また野上俊夫は七年五月の「佛國教育の印象」と題する論文において、ドイツ語やフランス語の綴字の困難であることを指摘した後、アメリカの心理學者ホイップルが大學生の五十八種の答案から綴字の誤つてゐるもの百六十を蒐集し、それを組合せて作つた手紙の一部を紹介し「此の綴字の困難は、羅馬字には必然なる附き物であつて、歐米の児童に頗る大なる困難を輿へて居る」と述べてゐる。しかし、その困難が假名文字にも必然的に附随するといふことには氣づかず、假名文字を主張してゐるのは何とも滑稽なことである。この野上の意見に對して、ヒ年六月に櫻根孝之進が「ローマ字綴と假名遣ひ」と題する反論を書いてゐる。櫻根は,イギリスの小學校の生徒がシェイクスピアの書物を讀んでゐるとか、アメリカの小學生が新聞の社説を讀んで議論してゐるといふやうな話を持出し「むつかしい英語の綴字を用ひて居ながらも尚ほ斯様な成績を擧げ得るのであるから吾々は益ローマ字の必要を叫ぶのである」と述べてゐるが、その話の眞僞は別として、もしその通りであるとしたら、たとひ文字や綴字が困難なものであつても、教育の仕方によつては立派な成果を期待し得ると考へるべきである。


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