山田孝雄の反對論 (五の17)

  大正十四年二月、山田孝雄が『明星』に「文部省の假名遣改定案を論ず」を發表して改定案を批判すると、相次いで芥川龍之介、藤村作、美濃部達吉、松尾捨治郎、高田保馬、本間久雄、木下杢太郎などの反對論が發表された。

  山田孝雄は、臨時國語調査會は「一種の調査機關に過ぎずして、國民に強要すべき事項の決定をなしうるか否かは疑はしきこと」であるとし、もしその必要があるならば必要なる理由を報告して十分に國民に知らせるべきであるが、改定する必要は全くないと述べ、次いで國語の假名遣は決してむづかしいものではないとして

* 英語の綴字などに比ぶれば信に易々たるものなりとす。然るにこれをむづかしいといふのは要するにこれを用ゐむと欲せざるものの言のみ。若しその人にして信によくこれを知らむと欲せば、一週間にして國語假名遣を記憶せしむることを得るは吾人多年の經驗に徴して明かなり。若し又それが假りに難儀なりとすとも、一國の言語文字をたゞ難儀なりとして放棄するが如きは國民として斷じてあるまじき態度なり。

と論じ、「假名遣は行はれざるが故に改めむとする説」については、現にハ行四段活用の「は、ひ、ふ、へ」、形容詞の連用形の音便の「う」、「井、參、居」などの「ゐ」、「末」などの「ゑ」、「岡、魚、青」などの「を」、「藤」などの「ぢ」、「水」などの「づ」などは行はれてゐると述べ、「言語に變遷あるによりその變遷に伴ひて改めむとする説」については、文字は社會的歴史的の産物であり

* 文字は固形的のものなり。しかるに聲音は流動的のものにして、* この變遷止まざる聲音を寫すにこの固形的の文字を以てするものなれば、これ如何にしても多少の矛盾衝突の生ずるべきは永久に避くべからざる所なりとす。* 何人かが非常の英斷を以てこれが一致を企て一時これを爲果せたりとすとも、その翌日よりして早くも不一致の方途に進むものなることを忘るべからず。

と論じてゐる。次いで改定案に一貫した標準がないことを指摘し、「ゐ」「ゑ」の廢棄、「ぢ」「づ」の廢棄、「くわ」の廢棄の否なるを論じ、更に長音符、動詞の終止形を長音と稱すること、形容詞の連用形を長音とせること等の不合理を指摘した後、最後を「わが國語問題の根本的解決の如きは決して短時日の間に行はれ得べき輕微の問題にあらず。短時日の間に少數の學者の手によりてこれを 解決せむとするが如き事あらば、その事常に失敗に終るのみならず、これが爲に國費を徒消するに止らむ。切に當局の反省を望む」と結んでゐる。


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