芥川・本間・木下の反對論 (五の18)

  芥川龍之介は、十四年三月『改造』に「文部省の假名遣改定案について」を發表し、右の山田の論文を「山田氏の痛撃たる、尋常一様の痛撃にあらず。その當に破るべきを破つて寸毫の遺憾を止めざるは殆どサムソンの指動いてペリシテのマッチ箱のつぶるるに似たり」と評してゐる。芥川は、臨時國語調査會の委員に對し「諸公の便宜たるを信ずるは諸公の随意に任ずるも可なり。然れども僕等も諸公の如く便宜たることを信ずべしとするは――少くとも諸公の樂天主義も聊か過ぎたりと言はざるべからず」と述べ、「ゐ、ゑ」などを廃して繁を省くつもりであらうが

* 繁を省けるが故に直ちに便宜なりと考ふるは最も危険なる思想なり。天下何ものか暴力よりも容易に繁を省くものあらむや。若し僕にして最も手輕に假名遣改定案を葬らむとせむ乎、僕亦區々たる筆硯の間に委員諸公を責むるに先だち、直ちに諸公を暗殺すべし。僕の諸公を暗殺せず、敢てペンを驅る所以は――原稿料の爲と云ふこと勿れ。―― 一に諸公を暗殺するの簡は即ち簡なりと雖も、便宜ならざるを信ずればなり。

と、その非を諭し、「ぢ、づ」の廢棄は「僕等の理性の尊嚴を失はしめむとするものなり」と批判し、次いで「明治三十三年以來文部省の計畫したる幾多の改革は一たびも文章に稗益したるを聞かず。却つて語格假名遣の誤謬を天下に蔓延せしめたるのみ」「僕は警視廳保安課のかかる常談を取締まるに甚だ寛なるを怪まざる能はず」と嚴しくその非を責めてゐる。

  次いで本間久雄は「新假名遣案に就て」を新聞に發表し.山田・芥川の反對論を支持し、文部省の改定案は「一種の公憤に値する愚案であり、悪案である」として、「言葉の上、文字の上の傳統の力は、ある意味でわれわれの血であり肉である。それを無意義に、無謀に破壊することは、直にわれわれ自身を破壊することであることを知らなければならない」と論じてゐる。

  また木下杢太郎は三月の『女性』に「假名遺の問題」を發表し、今回の改定案は「歴史的の根蔕を有する日本のオルトグラフイイを人工的に變更せむとするものである。人文の上に加へられたるこの暴力は直に之を肯定することが出来ない」と述べてゐる。



閉ぢる