國語審議會の發足 (六−19)


   昭和九年十二月二十一日、文部大臣の諮問機關として國語審議會の官制が敕令第三百三十一號を以て發布され、同時に臨時國語調査會の官制が廢止された。その時の文部大臣は松田源次であつた。官制第一條には「國語審議會ハ文部大臣ノ監督ニ屬シ其ノ諮問ニ應ジテ國語ニ關スル事項ヲ調査審議ス   國語審議會ハ前項ノ事項ニ付關係各大臣ニ建議スルコトヲ得」とある。同十二月二十二日、會長に南弘、副會長に穗積重遠、委員に左の三十五名が任命された。

    森山鏡藤田面一尽一一一邊長治山掛儀重下村壽一芝田徹心佐一木露{下一五楓卜専一同君新村旧森岡常臓古岡拠出自村房太粛岡部艮叢竹越興三用字野哲人竹村勘再藤村鮪保科手]田倉u三馬牧野艮宅一太掛小倉進平面構錐割安藤止純大鳥正徳H澤義輔導HH耶増田義一掛渡.巨古板書卓臓星野行則華由範士郡正十風力翌昭和十年一一月一市日.松田土部た臣か白岡語審議會樗劃し「一.国華ノ統制二明ヌ件,「漢土ノ調査[胴スル件」-.假名遣ノ改正一一醜ス此一L「四.父瞠ノ改善-繭訊ル件」〇四項目の諮問が島h.蘭語律語會ば第「日粗脅を同十年円月十九Hに開き,嗣僅力針について域議を剰ひ「二,漢字ノ調査.ユ闇メル什」か島岩手する,」とになワ.先づ僅字の字茜雲理一丁一壷喪具會を謹直1た

    昭和八年六月、木枝増一の『假名遣研究史』が吉澤義則監修で刊行された。吉澤はその序において、本書は京都帝大國語研究室の國語學史大系中の一篇で「木枝文學士が、從來世に行はれてゐる國語學史中國語假名遣に關する諸説を一々原書に就いて檢討考査した結果を新に整理して、世に問はんとする著述である」と説明し、次いで木枝の言葉を引用して「本書の説述がやゝもすると解題的に流れがちなのは、容易に原本を見ることの出來ない人々の爲に、.なるべく多くの書を紹介しようといふ意志があつたからで、肯て史的觀察を輕んじた譯ではない」と述べてゐる。本書は、序説、定家假名遣、定家假名遣の傳流、契沖の歴史的假名遣、歴史的假名遣のり傳流、異流假名遣、明治大正昭和時代の假名遣問題の八章から成り、附録に假名遣の歴史的研究資料が添へてあり、假名遣文獻資料として貴重なものである。木枝自身の考へ方は、「現代の言葉の書きあらわし方はよろしく現代の發音の上に標準をもとめるべきである」どいふものである。

   同八年六月、日下部重太郎の『現代國語思潮』が、次いで十月にその續篇が刊行された。本書は明治初年より昭和八年までの國語國字問題の推移を歴史的に記述したもので、特に明治時代が詳しく、文獻資料としての價値の高いものである。ただ著者がローマ字論者であるため、資料の取捨選擇が一方に偏してゐる懸念がある。

  モの頃から、日本が海外へ進出するにつれ、日本語の海外普及を圖るために、海外用の特別教科書が編纂されてゐるが、『南洋群島國語讀本』にはは「オヤ ニ シンパイ ヲ カケル ノワ ワルイ コトデス」、『朝鮮普通學校國語讀本』には「ソラ ガ アオク ハレテ イマス。ヒコウキ ガ オウキナ オトヲ タテテ」、『臺灣公學校用國語讀本』には、「アナタ ワ ナニ オ シテイマス カ」、『南滿洲教育會日本語讀本』には「オオサマ ニ オメ ニ カキマショオ」とあり、各々獨自の發音式假名遣を採用してゐる。

 


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