「國語協會」の改組と木下杢太郎の講演 (六-26)

   昭和十二年六月二十八日、「國語協會」「國語愛護同盟」「言語問題談話會」の三團體が合體し、新たに「國語協會」として發足、總理大臣近衞文麿を會長に、國語審議會會長南弘を副會長に迎へ、八月に機關誌『國語運動』を創刊して、國語國字改革運動を強力に推進する體勢を整へた。同會の規則第二條には「この會は國語の整理と改善をはかり、國語を愛護することを目的とする」とあり、理事には、朝倉希一、上野陽一、岡崎常太郎、小原喜三郎、下村宏、保科孝一、三宅正太郎、簗田𨥆次郎などの名が見らる。なほ十三年六月「國語運動」の「國語の愛護」と題する懸賞論文の入選者は、輿水實・輿水千枝子、中西章、市川四郎、楳垣實であつた。

  昭和十二年十一月十三日、木下杢太郎は「國語協會」の醫學部第三囘例會において「國字國語改良問題に對する管見」と題する講演を行つた。木下は先づ「自分では論理的であると信ずる考へ方を進めた所が」「著しく保守的傾向になつた」として、國語國字改良運動の沿革とその精神との概要を説明した後、特にローマ字論を俎上にのせ、それに鋭い批判を加へてゐる。木下は「歴史主義、古典主義無しのヒユマニテイといふものは考へられない」として

ヒユマニテイに就いて潛思しない人は能率主義、功利主義に引ずりまはされるのであります。そして其ヒユマニテはさつき申したやうに、モダンのヒユマニテイばかりではいけない。古典的のヒユマニテイが大いに重要なのであります。別言すれば言葉といふものは唯現在生きてゐる同志が思想を交換するだけの用に使はれるものではなく、それにも劣らず、必要な週去の人道家との會話の手段であるのであります。

と述べ、次いで古典は現代語の飜譯では間に合はぬ、「むづかしい言葉の習得と、古註の厄介な研究とによつて始めて古典の精神に參通するのであります」と説き、更にブラックといふギリシャ學者の「古學といふものは神話にあるアンテオスの樣なものである」といふ一節を紹介し

* アンテオスの足は度地に着けば又力を恢復する。古代の文化いふものはアンテオスに對する地面の樣なもので、國家或いは民族が衰へた時、一度古典に觸れれば力を得る。   * 古典といふものの中には、これ丈あるのであつて、過去は決して過ぎ去つたものでく、背中の方に廻つた未來だと考へることが出來ます。

と古典の意義を強調し「專門家に委せておいては、古學はアンテオスの地面にならない」と説いてゐる。

 


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