山本の振假名廢止論 (六−30)

  昭和十三年五月、山本有三が『戰爭と二人の婦人』の「あとがき」で、國語に對する一つの意見」として振假名廢止を提唱すると、それに對する贊否兩論が盛んに新聞や雜に發表された。山本は

* いつたい、立派な文明國でありながら、その國の文字を使つて書いた文章が、そのまゝではその國民の大多數のものには讀むことができないで、いつたん書いた文章の横に、もう一つ別な文字を列べて書かなければならないといふことは、國語として名譽なことでせうか。

と述べ、それを解決する「第一の方法は、本文の漢字を廢して、ふり假名のやうに、すべての文字を假名で書くことです」「第二の方法は、ルビをやめてしまふことです。あの小さい、みにくい虫を退治してしまふことです」「ルビをやめるといふことは、ふり假名がなくなつても、誰にでも讀めるやうな文章を書くといふことです」と述べ、第二の方法が「さし當つて實行するには、最も手つ取り早い」として、振假名を廢止することによつて得られる利益をいくつか擧げてゐる。

  同十三年十二月、白水社は八十一名の意見をまとめて『ふりがな廢止論とその批判』を刊行した。山本有三はその「まえがき」で「これからの文章はカナを國字とし、これに適當な漢字を補助字として交へて行くのが、一番現實に即した案ではないか」と、漢字交り文を唱へると共に、「私のフリガナ廢止論は、單に漢字の横についてゐる、みにくい虫を取りのけ」「漢字を制限するとか、むづかしい漢字をカナに書きかへるとかいふだけの末端的のものではありません。私の目差してゐるとこるは、もつと深く、もつと遠いつもり」であると述べてゐる。

  金田一京助は、「振假名などは、我が國以外、どこの國にあるか。恥辱である」「外にどこにも無いから、我が國でも止せといふ議論は全く意味を成さない。見識のない話である」「ルビーを辿る人は、ルビーをいらないとする人々の何倍あることか。それは何百倍、何千倍、なのではないであらうか。此を全廢するなどといふことは、わざわざ便利なものを棄てること」であると批判し、振假名は「最も文化的な進歩的な親切さである」と述べてゐる。また土屋文明は「振假名があつても解りよい正しい文章は捨てたものではないと思ひます」と述べ、羽仁五郎は「いま山本有三氏のようなすぐれた藝術家とカナモジカイ其他のわが國語國字改良運動とのしたし握手協力が、わが國語とわが藝術との雙方にさぞ大なる推進力を與えるであろうと信じ、よろこびに堪えない」と述べ、藤井乙男は「文士や詩人が變な漢字を竝べて勝手なルビをつけて、讀者に理解を強ひたり、不熟な新語を濫造する弊風も、隨つて消滅するであらう」と振假名廢止を支持し、は「やさしい言葉を用ひる時に、案外やさしいいひまはしが出來ないことが多い」「成金の所有するものを引下げる社會運動は贊成であるが、同じやうな考へから文化を引下げる運動をしてはならぬ」と述べ、後藤末男は、「僕自身の經驗から考へても、學校の讀み方より、振假名で講談本を讀んだ方がどれだけ讀書力がついたか解らない」と述べ、佐藤清は「我々が日本語を立派につかひこなせないならば、それは日本語そのものゝ罪ではなくつて、我々自身の罪であると言はなければならない」と述べてゐる。

  勿論振假名を必要としない分野もあらうが、全く振假名を廢止することは、單に不便なばかりでなく、各方面に思はぬ支障を來たすことにならう。山本は小學校六年生に讀めるやうにといふことを目標にして『戰爭と二人の婦人』を書きながら、なほ千二、三百の漢字を使つてゐる。恐らく大多數の兒童は振假名なしでは完全に讀み得ないに違ひない。ある程度振假名をつけてやるのが、いかに作者や印刷屋にとつて煩はしい「みにくい虫」であるとしても、讀者に對する親切といふものであらう。

 


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