時枝の言語過程説(その六の42) 昭和十六年十二月に刊行された時枝誠記の『國語學原論』は、總論と各 論との二篇より成るが、特に注目されるのは「言語の本質を、主體的な 表現過程の一の形式である」とする、時枝獨自の言語過程説の提唱であ る。時枝はその序において *ここに言語過程説といふのは、言語の本質を心的過程と見る言語本質觀 の理論的構成であって、それは構成主義的言語本質觀或いは言語實體觀に 對立するものであり、言語を、專ら言語主體がその心的内容を外部に表現 する過程と、その形式に於いて把握しようとするものである。 と説明してゐる。その後、昭和三十年六月に刊行された本書の續篇におい て、この言語過程説に基づく國語學の體系的組織が確立されたと言へる。 從來國語改革論者が無批判に受容れてゐたソシュール以下の西洋流の言語 觀を取上げ、それに批判を加へたことは、國語學の全領域に亙り、隨つて 當然國語問題の基礎理論に一大變確改をもたらすものである。この言語過 程説は、昭和三十七年四月に刊行された『國語問題のために』において國 語問題に具體的に適用されてゐる。 翌十七年一月、金田一京助の『國語研究』が刊行された。金田一は最後 の「國語・國字問題」において、漢字は二千字位を「多く用ひ服られるも のから、二、三等に等級を設けて教育する」のが適當であらうと述べ、假 名遣については次のやうに述べてゐる。 *古典時代の日本と、同じ日本でも、全く見ちがえる日本の姿ではないか。
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