「標準漢字表」の公布と大西の『國語科學論考』(その六の47)

  同十七年十二月、文部省は國語審議會の答申案に修正を加へて「標準漢字表」を公布した。それは、常用漢字・準常用漢字・特別漢字の區別を發すると共に、字數を百四十一字増加して二千六百六十九字に改め、簡易字體を八十字に減じたものである。文部省は「標準漢字表」について「貴重な文化財としての漢字は、十分尊重すべきであつて、これによつて國民は、わが國の歴史と文化とに對して正當な認識がもて、またこれを活用することによつて、將來の國民生活の向上を期待できるのであります」と漢字を尊重すべきことを説き、本漢字表は「義務教育で習得せしむべき漢字の標準を確立し、漢字特有の機能を十分に發揚させようとするものであつて、漢字の使用を制限しようとするものではありません」と説明してゐる。それは漢字表の前書きにおいても強調されてゐるし、文部大臣の談話にも「漢字の使用を制限せんとするものでないことは勿論である」とある。
  翌十八年一月、大西雅雄の『國語科學論考』が刊行された。大西は「漢字教育の問題」において、初めは「文字」として移入されたが、後は「言葉」作つたのであるから、漢字問題は單なる國字問題ではなく、實に國語問題なのであると述べ、次いで「漢字の整理」につき

*「漢字の整理」は前にも述べたやうに、「國語の整理」に相當するものであるから、 一人や二人の人間が宣傳文を書いたとて、更によしんば當局が「常用表」を發表したとて、直ちに全國民の使用語や使用文字が急變するものではない。儼然たる審判はそのやうな人爲的工作に在るのではなくて、全國民の記憶能・活用能によつて決するものであり、現に時々刻々に決定してゐるものである。謂ひかへると特定の人間が「整理」を獨斷的に行ふのではなく、既に日本國民の總和が「整理」を遂行してゐるものなのである。
  即ち、學者とか好事家とか當局とかは、單に右の事實を何らかの方法によつて測定し、之を報告するに過ぎないのである。しかも、忠實な實相に即したものは地についてゐるが、自ら「國語改良」だの「國語整理」だのと名乘つて先走つてゐるものは單なる自己滿足に過ぎない。そのやうな整理案は、異國語について遊戲をしたのと變りはないのである。


と傾聽すべき意見を述べてゐる。 

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