米國教育使節團報告書(その七の3)

  昭和二十一年三月五日、司令部の招きで來日したアメリカ教育使節團は、早くも三月三十一日司令部に報告書を提出してゐる。その報告書の第二章「國語の改革」におけるローマ字を採用すべしといふ勸告は日本國民に大きな衝撃を與へた。勸告とは言へ、何をするにも司令部の意嚮を無視することが許されなかつた當時にあつては、最早ローマ字の採用は不可避だと考へる者が多かつた。それによると「日本の國字は學習の恐るべき障害になつてゐる。廣く日本語を書くに用ひる漢字の暗記が、生徒に過重の負擔をかけてゐることは、ほとんどすべての有識者の意見の一致するところである」といふのであるが、使節團がこのやうな判斷を下したのは、その調査報告に協力した識者が假名・ローマ字論者であつたために外ならない。次いで「使節團の判斷では、假名よりもローマ字に長所が多い。更に、それは民主的公民としての資格と國際的理解の助長に適するであらう」として、次のやうに勸告してゐる。

* 一 ある形のローマ字を是非とも一般に採用すること。
二 選ぶべき特殊の形のローマ字は、日本の學者、教育權威者、及び政治家より成る委員會がこれを決定すること。
三 その委員會は過渡期中、國語改良計畫案を調整する責任を持つこと。
四 その委員會は新聞、定期刊行物、書籍その他の文書を通して、學校や社會生活 や國民生活にローマ字を取入れる計畫と案を立てること。
五 その委員會はまた、一層民主主義的な形の口語を完成する方途を講ずること。
六 國字が兒童の學習時間を缺乏させる不斷の原因であることを考へて、委員會を 速に組織すべきこと。餘り遲くならぬ中に、完全な報告と廣範圍の計畫が發表されることを望む。


  更に「今は國語改良のこの重要處置を講ずる好機である。恐らくこれ程好都合な機會は、今後幾世代の間またとないであらう」とも述べてゐる。以上のやうに、教育使節團が、一部の改革論者の主張を眞に受けて、その代辯者の役割を演じたことは、後世に汚名を殘すものである。

 

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