『未來の國語設計者』(その七の15)

   昭和二十三年十一月、小林英夫は、戰後次々に新聞や雜誌に發表した意見を一册にまとめ『未來の國語設計者』を刊行した。先づ本書の表記法であるが、助詞の「は」を「わ」、「英語」を「エー語」と書いたり、「コーキ辭典」「タイショー十二年」「トーキョー都」などと書いて、一人悦に入つてゐるが、假に「ダイトーア戰爭」なるものによつて、精神に多少の異状を來したとしても、小林を一人前の學者として見る時、何とも滑稽なものを感じさせる。小林は

* カン字まじり文についていいますと、ずっとカナがつづいて、それからカン字が出 てくるばあい、さてどんなカン字にぶつかるか、前もって見當をつけることができません。われわれは偶然を豫期しないわけにわ、いきません。この不安感とゆうものわ、われわれ主體にとって一つの苦痛をあたえ、能率の點にも惡影響を及ぼしわしないでしょうか。

と「主體に及ぼす心理てき惡作用」を強調し、「わたしのカン字全廢論のいちばん重要な根據わ、これなのです」と、隨分大袈裟な言ひ方をしてゐるが、どうやら極度の漢字恐怖症に取付かれてゐるやうだ。

  小林が一種の卑屈な劣等意識に支配されてゐることは、「シガ・ナオヤも、もう小説の神さまじゃ、なくなったわけだね」とか、「短歌と俳句とわ、音ちにでも作れる」とか、「新かなづかいわおろか、ローマ字がきにしても、その美の浮んでこないような作品わ、しんの藝術品でわあるまい」などと述べてゐることからも窺ふことが出來よう。また「あて字、二字訓、多音多訓――こうゆうものをどしどし退治して、だれにもたやすく使いこなせる文字にしなければならない」などと勝手な氣焔を上げてゐるが、日本には「だれにもたやすく使いこなせる文字」、即ち片假名や平假名があるのだから、それだけで「美の浮かんで」くる藝術作品が書けると思ふなら、他人をけしかける前に先づ自分でやつてみることだ。しかし、せつかく假名文字を使つても、小林のやうに「作文のエスキッスと思われる」「由來アルキテクトーニッシュな才能」「パラドクサルなことば」などと書いたのでは、小林の意圖通りになることはあるまい。以上によつて知られる如く、小林が戰前の消極的な態度を「一變して積極的な發言をするようになったのわ、ヤマモト・ユーゾー先生のミタカ國語研究所にはいって、先生の指導のもとに、專心この問題を考究するようになってからだ」と、その「あとがき」で述べてゐる通り、山本有三の經濟的援助によつて戰後の困窮を切拔けると同時に、山本によつて洗腦されたわけである。 


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