『言語政策を話し合う會』(7―34)

 三十三年一月三十年に第一囘の準備會を開き、着々準備を進めてきた「言語政策を話し合う」の發會式が四月十日に行はれた。同會は民間は民間團體ではあるが、國會議員七十名と國語審議會長・副會長を始め多の委員を含む極めて政治的な國語改革團體である。發會式の發表された「宣言」によると、先「わが國の文字やコトバには改善しなければならないが多い。心ある人々はすでに久しくこれをさけんできたが、國としては行政の片すみで扱ったにすぎず、政治からのテコ入れがないため、ともすればあともどりしがちである」「中國はローマ字への道をふみだした。もはや、漢字を使う國は日本だけになろうとしている。これはうかうかしていられない大きな問題である」とし、文字や言葉がむづかしいため「さまざまの問題を理解することや、批判することが妨げられている。ここに、民主主義政治の理想が實現できない大きな原因がある」「科學技術ヘ育をさかんにすることは、國の方針であるが、そのためにも、漢字をえることに時間と力をうばわれている現在のやり方は改めなければならない」「これからはカナやローマ字のような表音文字を使うことによって、民族もちまえのコトバづくりの力をよみがえらせ、國語を愛する氣持をもり上げなければならない」「漢字を使つていては外國なみの機械化はできない」「世界の各民族と文化を交流する上に、漢字が妨げになっていることは明らかである」といふやうなことを強調してゐる

 また同會の「さしあたりの仕事」として四項目掲げられてをり、Aは政府に對する働きかけ、Bは國會對する働きかけ、Cはジャーナリズムを始め國民全體對する働きかけ、Dは改革に有利な資料の蒐集である。Aは更に「漢字制限、現代かなづかい、音訓整理、公文書横書き、ローマ字ヘ育の徹底をはかること」「用漢字でない地名、人名はカナガキにするように働きかけること」「ローマ字ヘ育のいまの内容を引き下げることなく、徹底させること」の三項に分れてゐる。また同會の世話人代表は、國會對策委員會委員長・北村徳太郎、副・白井荘一、高良とみ、山田節男、事業委員會委員長・片山哲、副・倉石武四郎、財務委員會委員長・伊藤忠兵衛、庶務委員會委員長・東隆、副・大塚明朗であり、員には、中村梅吉、小金義照、小笠原三九朗、鶴見祐輔、唐島基智三、藤井繼男、宮澤俊義、土居光知、輿水實、遠藤嘉基、金田一京助、西尾實、土岐善麿、大久保忠利、平井昌夫、滑川道夫、石黒修、岩下富藏、西原慶一、實藤惠秀、高橋健二、有光次朗などの名前が見られる。なほ同會は三十五年一月に機關紙『言語政策』を創刊、明書や建議書を矢繼ぎ早に發表したり、講演會を開催したり、結成當初こそ活溌な動きを見せたが、もともと年足らずで中國のローマ字化が實現すると早合點した「あわて者」によつて結成されたであるから、中國の文字改革が單なる掛聲に過ぎないと判ると、急速に衰へ舊來名・ローマ字論者だけになつてしまつたのも當然なことと言へよう。


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