『漢字からローマ字へ』(7―35)

 三十三年五月、倉石武四郎の『漢字からローマ字へ』――中國の文字改革と日本――が刊行された。本書は年前から新聞雜誌に發表された三十篇を一書にまとめたものである。倉石は中國の文字改革に眩惑され、毛澤東の「文字はかならず改革せねばならぬ。世界文字共通の音標という方向に進めねばならぬ」といふ言葉を引用し

  *少なくとも、中國がその漢字を、しかもこんなに早く捨てることがあろうなどとは夢にも思わなかったにちがいない。つまり小さい日本は、今になっても、無意識に大きな中國の背中におぶさっていたのである。その背中から投げだされ、あわててあたりを見まわしたとき、漢字を使ったり、縦書きをしたりするのは、自分たちだけだった、というふうになる――それはもはや言でなしに、はっきりした現實なのである。しかも、そう遠いさきのことではない。

と論じ、「われわれの先祖がもし中國の新しい動きをきいたら、日本もおくれてはならないぞ、といってわれわれをましてくれるにちがいありません」と述べてゐるが、その論述の基礎となつてゐる中國の文字改革に對する判斷を誤つてゐるために、本書の議論がすべて空理空論に堕するといふ醜態を演じてゐる。毛澤東はただもが胸に抱いてゐるやうな理想を述べただけである。また中國が「漢字を全廢して、世界文字共通の方向である音標化に進むのだといって張りきっている」からといつて、何もあわてることはない、日本はそれより半世紀も前に、國語調査委員會が「文字ハ音韻文字ヲ採用スルコトヽシ名羅馬字等ノ得失ヲ調査スルコト」を決議してゐるのである。あわてねばならぬのは、むしろ中國の方であらう。


閉ぢる