福田の『私の國語敎室』(7-38)

 福田恆存は三十三年十月󠄁から五囘に亙り季刋雜誌『聲』に「私の國語敎室」を發表した。福田は第一章において「現代かなづかい」の不合理を徹底的に究明󠄁し、そこに見られる幾多の矛盾は「原則と內容との矛盾ではなく、原則に內在する矛盾で、それは一つの原則が他のもう一つの原則と同居させられたために起󠄁つたこと」である、他のもう一つの原則とは、「表記法は音にではなく、語に隨ふべし」といふ歷史的假名遣󠄁の原則に外ならないと述󠄁べ、次󠄁いで第二章において、橋本進󠄁吉の假名遣󠄁論を援󠄁用しつつ歷史的假名遣󠄁の原理、卽ち「語に隨ふ」といふことを說明󠄁すると共に、先に紹介したやうに江湖山の假名遣󠄁論を中心に、表音主󠄁義そのものと表音主󠄁義者に共通󠄁する本質と現象、目的と手段、價値論と發生論との混同を痛烈に批判󠄁し、第三章において、歷史的假名遣󠄁の習󠄁得は左程󠄁困難なものでないといふ立場から、その習󠄁得法の實際を示してゐる。また第四章において國語音韻の變化󠄁について論述󠄁し、更に第五章において國語音韻の特質を明󠄁かにした後、音便の音價とその表記にまで言及󠄁し、音韻論などといふ曖昧なものによらず音聲學に基づいて綿密に檢討すれば、「おそらく歷史的かなづかひこそ、最も國語音韻に適󠄁した安定的な表音かなづかひであることに氣がつくはずです」と述󠄁べてゐる。

 以上の五章に「國語問題の背景」といふ一章が附加されて、三十五年十二月󠄁に單行本『私の國語敎室』が刊行された。福田はその一章において、國語審議會の表音化󠄁への陰謀を暴露する一方、漢字の存在理由を明󠄁確にし「六 誤󠄁れる文化󠄁觀」において「一體、日本の近󠄁代化󠄁はどう遲れてゐるといふのか。遲れてゐるとすれば、國語屋の頭の中くらゐのものでせう」と述󠄁べ

*專門家だけが昔のかなづかひに習󠄁熟し、漢字をたくさん勉强して、書齋のなかで古典を樂しんでゐるからといつて、一體そんなことが日本の文化󠄁とどういふ關係があるのでせうか。よその國の學者と同樣、なんの關係もありますまい。一番大事なことは、專門家も一般大衆も同じ言語組織、同じ文字組織のなかに生きてゐるといふことです。同一の言語感覺、同一の文字感覺をもつてゐるといふことです。

と論じ、「七 誤󠄁れる敎育觀」において、言語文字は敎育のためにあるのではなく、言語文字のために敎育があるのだといふことを强調󠄁し、更に項を改めて、改革論者の言語觀に誤󠄁りがあること、表音文字化󠄁は不可能であることを立證してゐる。

 三十六年五月󠄁の『新潮󠄀』に、杉森久英は「國語問題變節の辯」を發表、福田の「私の國語敎室」を讀んでゐるうちに「次󠄁第に目からウロコが一枚づつ落ちてゆき、連載が終󠄁るころには、僕はいつのまにか舊カナ贊成󠄁の方に變節してゐた」と述󠄁べてゐる。なは『私の國語敎室』は、第十二囘讀賣文學賞(批評󠄁部門)を受賞した。