『國語問題協議會』(7―39) 昭和三十四年十一月四日麻布文化會館において、發起人總會が開かれ、戰後の國語政策に疑問を有する各界有志百六十餘名の贊同を得て、「國語問題協議會」が設立された。同會設立の因をなしたのは、現在主事として會の運營に當つてゐる、岩下保、近藤祐康、の現場教師であるが、いづれ二教師の果した役割が高く評價される日が來るに違ひない。同會から十二月十七日に發表された「宣言」には「戰後の國語政策は、國語そのものの性格に對する認識を缺き、十分な調査研究を經ずして、ひたすら簡素化を事とした。しかも、そのために生じた矛盾は、簡素化の美名におゝわれて、そのまゝ容認されている」「このまま推移すれば、人人は國語國字について何が正しいかという言語意識を失い、矛盾や不合理に反撥する健康な語感の痲痺を、ひいては思考力、表現力の低下を招くに至るであろう」とあり、「事態のこれ以上の惡化を防ぐために」、文部省及び國語審議會に對して「改革案の矛盾と混亂とをどう處理するつもりか、その見通しを示すこと」「改革案の教育への適用を見合せること」等四項目、内閣に對して「傳統と未來にかゝわる國語國字を、内閣訓令、内閣告示をもつて輕々に左右しうる現在の在り方を改めること」等三項目の要求を行つてゐる。また同會の理事長には小汀利得、常任理事には新井寛、犬養道子、臼井吉見、大岡昇平、大野晉、木内信胤、田邊萬平、豐田雅孝、福田恆存、山本健吉が就任してをり、理事・評議委員中には、左の作家・評論家の名前が見られる。 |