五委員の脱退(7―42)

  三十六年三月二十二日に開かれた國語審議會の議題は「國語審議會委員等推薦協議會について」であつた。先づ土岐善麿會長より、三月十七日の總會の經過報告があり、次いで成瀬正勝委員から「十年をふりかえつてみて、どうしたらよいかという點について、新しい構成員で、廣い視野で見なおす必要があるのではないか」といふ委員總辭職論の説明があり、藍田良平委員より「國語の見識や歴史よりも國語の應用面が重視されるような現状で、はたして正しい國語の審議ができるであろうか」といふ審議會の現状に對する批判がなされ、舟橋聖一委員から「このまま推薦協議會を作れば、前と同じものになることは明らかなことである」といふやうな發言があり、山岸徳平委員よりそれを支持する發言があつたが、松坂忠則委員は、審議會の方向は既に決つてゐる、「戰後の大きな流れを無視し、當用漢字表、現代かなづかいを否定するようなことになるのであれば、それをくいとめることこそ、なによりも必要なことであろうし、それこそがわれわれの態度であるべきである」と述べ、從來通りの互選を主張してゐる。これに對して山岸委員より「國語審議會の方向が既に決つているといふことが事實とするならば、もはや審議のの必要を認めないものと思われるが、どんなものか」といふ反論があり、推薦協議會委員の互選をめぐつて會議が紛糾したため、舟橋委員から「會長が推薦協議會の委員を指名するということはできないものか」といふ提案が出された。この提案を鹽田委員が支持し、更に宇野精一委員からも「審議會の方向などについていろいろ批判があり、たまたま改選期であるから、新しい委員によつて適當な改組をしたい」といふやうな贊成意見が述べられたが、結局一人でも反對があれば舟橋委員の案は採用できないといふわけで、到底見込みなしと判斷した舟橋委員は委員を辭職したいと述べ、鹽田委員も「カナモジ化に進んでいく方向が變らないかぎり、舟橋委員の發言と同樣に、國語審議會の今後の方向に對して、深い憂慮をもつて立ち去るよりほかない」との發言があつた後、十二名の推薦委員を選ぶことを決定して十分間の休憩に入つた。再開後直ちに成瀬委員より發言があり、「このような状態のもとで行われる互選
は、前にも述べたように、永久政權を續けるにすぎないものであるとして、われわれ五人は退場することとした」といふ言葉を殘して、宇野、鹽田、成瀬、舟橋、山岸の五委員は席を立ち、國語審議會から脱退したわけであるが、前の委員が、次の委員を選ぶといふ方法による限り、最初多數を占めた一派が永久に主導權を握るといふ弊害を阻止できないわけであるから、五委員が脱退したことは蓋し當然と言へよう。元來國民の一割そこそこの支持者しか持たぬ假名・ローマ字論者が審議會の主導權を握つてゐること自體不自然なことなのである。ローマ字論者である土岐が十年間も會長を務めたといふことは、日本文化にとつて極めて危險なことでありながら、明治以來の惰性によつてそれが許されてきたといふことは實に驚嘆すべきことである。


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