『國文學』の特輯 (7‐43)

五委員の脱退が契機となつて、俄に國語國字問題が國民の關心を惹き、報道機關を通じて活潑に論議された。『國文學』は三十六年七月「漢字・かな問題と教育」を特輯し、三十餘名の意見を掲載した。吉田澄夫は、最近國語問題が盛んに論じられてゐるが「これらの論者は、われわれが近い過去において、敗戰といふ嚴然たる事實を經驗したことを、はたして十分に自覺しているのであろうか」と不審を表明してゐるが、敗戰の度に言語文字を改革せねばならぬといふ論理には承服し難い。鹽田良平は「國語政策は自然の流れに從つて、それを調整すべきで、人爲的に作り出してはいけない、といふ私の主張は、この點でやはり十五年間の既成事實を認め、これを如何にして圓滑に千年の歴史的表記法の中に矛盾なくとけこませるか、いふならば改革案の中の、いかなる改惡面を調整すべきかが、今後の國語問題の課題になると思ふ。と同時に、私は私なりに守る歴史的表記法を、他人が勝手にいぢらない自由を與へて貰ひたいとも思ふのである。」と述べ、宇野精一は「民主化とは多くの人を少しでも高く引上げることであつて、高いものを引き下げることではない」と述べ、次いで、「小學校における國語授業時間數の全教科に對する比率は、米國が最も多くて四七・五%、中共・佛・ソ聯は何れも四〇%前後であるに對し、日本は現在二七・五%である」といふ數字を擧げて「少くとも漢字がそれほどの負擔でないことは證明されたと思ふし、國語の負擔を無理に輕くして、他の學科をそれほど多量に學ばせる必要もないと思はれる」と述べた後、當用漢字表・字體整理・音訓整理そのものの不備とその適用上の誤りを指摘してゐる。また成瀬正勝は明治以來の國語問題の思想的背景について考察し、「啓蒙期以來、彼らは十九世紀の西洋言語學を輸入することによつて、わが國語研究に乘り出したわけであるが、元來西洋言語學は、西洋言語、西洋文學より抽象せられた學問であつて、今日我々が用いる漢系言語ならびに文字を對象とするものではないのである」が「これらの系譜の相違を見究めずに、西洋的尺度によつて國語をはかるといふ誤りをおかしたのである」と、改革論者の言語觀における誤謬を究明している。

なほ三十六年二月、國語國文學研究史大成の十五卷『國語學』が刊行されたが、その中に「十八國語國字問題の歴史」として「國語國字問題史の概觀」「將來における國語國字問題」「書目解題」とがおさめられてゐる。



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