『今後の問題(その一)』(7‐47‐1)

國語問題全史を通じて、前記五委員の審議會脱退が果した役割ほど大きなものはない。過去ににおける表記法改革反對運動は、「反對」といふものの、すべて現状維持の努力であつて、國民大衆の無黨の支持を前提として少數の革命派を抑へてきたのである。もし敗戰、占領といふ事實がなかつたなら、即ち他國の力の介入と、それにも増して國民の自信喪失といふ無氣力状態がなかつたなら、革命派の主張は永遠に通らなかつたか、或いは部分的採用にとどまつたか、そのいづれかに終つたであらう。と言ふことは、過去における表記法改革も、またその反對運動も、純粹な國語問題の領域においてではなく、專ら力關係において、成否が決せられたことを意味する。それを考へれば、戰後の改革反對運動には成功の見込が全くなかつたと言へる。反對運動は過去におけるやうに單なる現状維持の努力ではなく、「狂瀾を既倒に廻らす」ていの革命運動となつた。國民大衆の支持を期待しえぬばかりでなく、かつての革命派のやうに、たとひ少數派とはいへ、明治以來文部省内に隱然たる勢力を張り續けてきた同志を當てにすることも出來なかつたのである。

隨つて、反對派の主張はそれが正論にも拘らず、戰後十年、殆ど無視され、嘲笑されながら空轉を續けた。
この絶望的な状態のいささかの曙光がみえだしたのは昭和三十四年である。既に述べたやうに、その切掛けは、反對派の努力の結實によつてではなく、國語審議會、文部省が「勝ち」に乘じて新送假名制定に踏切つた、言はば改革派自身の行過ぎによつてもたさられたものと言へよう。第一にそれは「現代かなづかい」や「常用漢字表」「音訓表」の場合と異なり、それによつて生ずる混亂や矛盾が誰の目にも明瞭に看取された。第二に、その混亂や矛盾を通じて、單に新送假名法の杜撰である事が露呈されたばかりでなく、送假名を機械的に固定しようとする考へ方それ自體が無理なことではないかといふ自覺に人々を導いた。第四に今まで無條件に受容されてきた「現代かなづかい」や「當用漢字表」「音訓表」についても、現象的な矛盾や混亂の底に、同じく國語の本質と歴史とを無視した不自然かつ非現實的な原理が働いてゐるのではないかといふ疑ひが、人々の間に芽生え始めた。言ひ換へれば、現状の混亂や矛盾は、ローマ字、もしくは假名文字による徹底的な表音化によつて、いづれは解消し去る過度的な現象として、全然問題にしないか、あるいはむしろ好都合と見做す審議會主流派の意圖が、國民の間に稍々明らかになつたのである。昭和三十四年十一月における國語問題協議會の設立は、その事を前提とし背景として始めて實現したと言へよう。更に、昭和三十六年三月に起つた五委員の審議會脱退は、當時五氏が異口同音に言つてゐたやうに、さういふ地盤がなければ考へられなかつたことかもしれない。が、五氏の行動が世間に投じた波紋は、國語問題史上、未曾有の大きな廣がりをもつたのである。



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