『國語國字』の特輯(八の1)

 國語問題協議會の機關誌『國語國字』は昭和三十六年九月、前年の十二月に行はれた講演會の特輯號を出した。田邊萬平は「開會に當りて」として「戰後、國語は甚しく混亂してしまひました。もちろんこの混亂は、敗戰による人心の動搖とか卑屈感にも起因するでせうが、この混亂を更に混亂させたのは、戰後の國字政策であります。東京を始め大都市が燒野原になり、知識人が山野を放浪して職を求めてゐた文化の空白時代、そこを狙つて表音主義者が結束し、一擧に國語のクーデターを敢行した」「國民は表音主義者に欺かれたのであります。國民をして自國語の傳統表記に疑念を抱かせ、表音化に驅り立てようとする陰謀であります。今こゝで、私たちが徹底的に抗爭しなければ、表音主義者等は自信を得て、更に第五、第六の政策を實行し、ますます混亂に陷れて、つひにカナもしくはローマ字にしてしまふでせう」と訴へてゐる。
 辰野隆はフランスに滯在中、下宿先の未亡人が貧乏のために娘に「嫁入り仕度をさせてやることはできない。せいぜい嫁入り前に立派なフランス語を話す娘として、それを嫁入り仕度にしたい」と言ふのを聞いて「さすがに言葉を愛するフランスの母らしい」と感心した話、またドーデーの短篇「ザ・ラースト・レッスン」の話を紹介して國語愛を説き、小泉信三は「明白な誤謬は過ちだと言つて正すことが一番簡單な方法」であり「過ちを承認することを急いではならない。たとへば道のないところを多勢の人が歩けば、やがてそれは道になるかもしれないが、多勢が歩くからといつて、かたはらに本當の道があるのを教へないで、その道もよからうといふやうな不必要に寛大な處置をとることは間違で、そこはどこまでも嚴格であるべきだといふのが私の年來の主張であります」と述べ、平林たい子は「根本的には、もし一つの言葉が姿を消せば、その言葉が表してゐた思想も、姿を消すのだといふやうな考へを持つてをります。言葉が單純化すると確かに思想も單純化します」「兔に角、今の當用漢字の制限は弛めなければ、學生の教養などどんどん低下するばかりだと思ふのです。もう、これから何年かたつかたたないうちに、明治初期の小説など誰も讀めなくなつてしまふのではないかと思ひます」「本當の言ひまはしとか、正しい書き方とか、さういふものは輕視され、流行語だけで自分の思想を綴るやうな人間がだんだん多くなつて、行くやうな危懼を感じるわけです」と訴へてゐるが、平林の危懼の通りになりつつある。




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