「私の舊假名遣ひ習得法」(八の10)
 
 昭和四十年四月、土屋道雄は『新潮』に「私の舊假名遣習得法」を書き、歴史的假名遣は難しくないと訴へてゐる。國語問題協議會の主事として『國語國字』の編輯と校正を擔當するに當り、正(舊)漢字・正(舊)假名遣を自學自習した經驗をもとに、
*「現代かなづかい」を制定した根據は「國語を書きあらわす上に、從來のかなづかい は、はなはだ複雜であつて、使用上の困難が大きい」といふ點にあるのだが、果して 歴史的かなづかひで文章を書くのはむづかしいであらうか。使用に堪へぬほどむづか しいのであらうか。斷じて「否」である。
* 歴史的かなづかひで文章を書く場合に注意を要するのは、わづか「wa、i、u、e、o 、zi、zu」の七音である。結局、この七音を平がなで書く時にだけ注意すればよいのである。私の新聞(朝日と讀賣)調査によると、現行の表記を歴史的かなづかひに改 める場合、訂正を要する字數はの全字數の二%強に過ぎない。しかも、その二%強のうちの四〇%は記憶を必要としない「ハ行活用」の動詞であり、三〇%は「ゐる」の「ゐ」である。以下、「このやうに」の「やう」が六%、「かうして」の「かう」が三%、「さうして」の「さう」が一・五%、「まづ」の「づ」が一・二%、「いづれ」の「づ」が〇・七%------といふ順になつてゐる。なほ、この中には「うへ」や「きはめて」や「あづける」なども含まれてゐるが、これを漢字で「上、極めて、預ける」と表記する人は、それだけ努力が省けるわけである。------頻度の高いものを數十語記憶し、あとは一枚の表に纏めて傍に置けば、それで不自由なく文章が書ける。
* 一例を「wa」音にとつて説明しよう。「wa」音が語頭にある時には「わ」と書き、語中語尾にある時には「は」と書く、といふ原則を立て、この原則に合致しない語を記憶するのであるが、その語數は、送りがなのつけ方と漢字使用の度合とによつて各人各樣となる。平がなばかりで書く人は、あわ(泡)、いわし(鰯)、しわ(皺)、あわてる(慌てる)、かわく(乾く)、ことわる(斷る)、さわぐ(騷ぐ)、すわる(坐る)、たわむ(撓む)、しわい(吝)、よわい(弱い)、ゆわう(硫黄)、たわいない、等の十三語を暗記するわけであるが、右の語をすべて漢字で書く人は、「たわいない」一語を暗記すればよいことになる。
これと同じことを他の六音についても行つて、自分に適した一覽表を作成すればよいのであるが、------現行の新聞の表記を基準とした一覽表が公にされれば、殆どの人はそれで間に合つてしまふ。私が歴史的かなづかひ三時間修得説を唱へる根據はここにある。新聞・雜誌の記者諸氏が歴史的かなづかひで記事を書くやうになるのに三時間あればよいと言ふのである。

と述べ、「現代かなづかい」はあくまでも歴史的の代用品、本物に似せた「にせもの」であり「まがひもの」である、「現代かなづかい」に改められた?外・漱石は「にせもの」の?外・漱石でしかない、少しでも文化の質を向上させたいと思ふならば、そのやうな「にせもの」に滿足してゐてはならないとし、最後を「まがひもの」で「我慢してゐる文士などは尊敬に値しない。戰後急造の『まがひもの』を棄て、正統の歴史的かなづかひで文章を書く人が一人でも多くなることを願つて止まない」と結んでゐる。

 



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