第八回國語問題講演會(八の15)

昭和四十一年十一月五日、國語問題協議會主催の第八囘國語問題講演會が開かれた。福田恆存の開會の辭に始り、大野晉、林武、鈴木重信、今東光、森田たまの講演があり、小汀利得が閉會の辭を述べてゐる。
大野は、現代日本語は亂れてゐないといふ主張が「戰後の國語政策を擁護する、辯護するといふ意味をもつてゐる點に注意しなければならない」とし、言葉の間違ひは「いつの時代にも、どこの國にも、どんなに文化の高い國にも恐らくあつたに違ひない」が、「現代の日本語が亂れてゐるといふのは、間違ひが澤山あるといふことではなくて」「依るべきところがきちんとしてゐない、さうして原則らしきものが出來上つてゐるけれども、それを丁寧に突き詰めてみると、かう書いていいか、ああ書いていいか、どう書いていいか分らない状態に放置してある。ここに私は現代の言葉が亂れてゐるといふことの基本があるやうに考へます」と述べ、鈴木は神奈川縣立教育センター參與として、社會で普通漢字で表記されてゐる言葉は原則として低學年から漢字で教へる小學校と、文部省指導要領を忠實に守つてゐる小學校とを三年間に亙り比較調査した結果、漢字はなるべく「早く」、なるべく「多く」、焦らず「ゆつくり」教へるべきだといふ結論に達したと、注目すべき報告を行つてゐる。
今東光は、終戰後のある講演會で質問を受け「漢字制限だとかあるいは新假名遣といふやうなばかな政策は、要するにアメリカから何らかの要請があり、あるいはまた文部省邊りの、あるいは文部省に出入りするところの進歩的文化人なんといふお茶ッピーがオベンチャラかたがたやつた仕事で甚だ私は氣に入らない。マッカーサーといふ野郎は日本の占領政策を五年以上に亙つてやつた」が「最大の惡政は、日本の言葉に對してかういふ制限を加へたことであります」と述べた話をし、「ヨハネ傳にある如く、言葉は神と偕にあるし、言葉は神だ」「我々の國でも言靈と言つて、言葉といふものにはさういふ魂が籠つてゐるのだ」「我々は自分達民族の言葉をお互ひに大事にしたい」と訴へてゐる。
森田は歐州の視察中の話に關連して、明治初期に英語採用論を唱へた森有禮の孫で、パリのソルボンヌ大學で日本語を教へてゐる森有正が「初めの一年間は新假名で教へる、これは新假名を教へなければ今日の出版物を讀むことが出來ないから教へます。しかし二年からは絶對に舊假名で教へる。それでなければ日本の本當の傳統ある國語といふものを解つて貰へない、だから必ず舊假名に切換へてさうして日本の正しい國語を教へるやうにしてゐる。その方が皆も非常に覺えいい」と語つたことを紹介し、「言葉といふものにはその國の一つの姿が含まれてゐるものだと思ひます」「國語もやはり漢字と假名が適當に入り交つて美しい文章が綴られていく、それが日本の國語ではないか、さう思つてゐる次第でございます」と述べてゐる。また小汀は町名變更について「こんな野蠻なことをされても敢て戰ふ事を知らないやうな者は文明國の人間ではない、といつても過言ではありません」「さういふ仕事をやる野郎共は無知蒙昧なる輩である事がわかる。これと堂々と戰はないやうな事では、民主主義政治なんてものは成り立たない」と述べ、「今は學校でもつて、うその國語を教はつてゐる學童たちは可愛さうであるが、あの一團の××學者と稱する淺學菲才の徒は早く片付けていかなければいけない」「われわれ常識と良心を持つたものは立上がらなきやあならない」と結んでゐる。




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