吉田富三の『生命と言葉』 (八の22)

昭和四十七年二月に出版された『生命と言葉』は癌研究の權威である吉田富三の隨筆集である。專門に屬する論文だけでなく、日本語に關する「民族意識の囘復」「日本語は日本民族のもの」「漢字と假名」を始め、未發表の「俳句と漢字」といふユニークな俳論や自作の「一年一句」などが收められてゐる。なほ、既に觸れた國語審議會において行つた吉田提案とその提案理由及び説明が資料として載せられてゐる。
吉田は「人は言葉によつて生きてゐる。母なる言葉、母國語によつて人の心も精神も生きてゐるのだが、人には母を選ぶ自由がないやうに、母國語を選ぶ自由もない。母の言葉が自分の言葉である。日本人に生まれることは、日本語を語ることである。日本語で讀み、書き、日本語で理解し、思考し、そして日本語で創造することである。總ての面の精神生活で、それ以外に道はないと思ふ」「漢字の制限と、制限外漢字の假名書き、書き換へ(これは自由な選擇とは違ふ)、まぜ書き等を強要する國語政策は、暗黒政策といふべきであらう。知性と思考力の壓制といふ他はあるまい」といふ立場から、駐日アメリカ大使を務めたことのあるライシャワーの漢字全廢の主張に對して「我々がいまかうして考へ、書き、語つてゐる一つ一つの言葉が、我々日本人の思索と思想の根元的要素である、その一語一語の重要なものが『漢字』に懸つてゐる事實を思へば、漢字の問題ほど日本人にとつて重要な問題はない。基本的人權と類を同じくする問題である」と漢字の重要性を訴へ、「日本人の思考力は漢字にかかつてゐる。漢字のない所には人間としての知性の發動もなくなる。日本語はさういふ語彙の言語體系なのである。だから日本語が失はれて行くといふ憂慮は日本人が漢字を見失ひつつあるといふ憂慮であり、やがて知性を失ひつつあるといふ憂慮に通じるのであると思ふ」と述べてゐる。
本書の半年ほど後に出版された吉田の『雜念雜記』は深い學識と教養に裏付けられてをり、決して雜念でもない。直接國語問題を論じたものとしては「漢字を大切にしよう」と「漢字教育の本道」とがある。吉田は前者において「日本語が崩れることは、日本人の精神と心が崩れて行くことである。どんな人も歴史の創始者ではあり得ないが、特に國語の創始者ではあり得ない。民族傳承の國語は謙虚にこれを愛育する義務がある。當座の事情で、傳統の流れに斷層を作る樣な僭越は、誰にも許されないと思ふ」と國語に對して謙虚でなければならないと説いてゐる。


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