岩波講座『日本語』(八の36)

 岩波講座『日本語』(全十二卷、別卷一)の第三卷『國語國字問題(昭和五十二年一月刊)は世界の言語問題を始め、漢字、假名遣、外來語、標準語、新聞用語・放送用語等の問題を取上げてゐる。その多くは解説に終始してをり、國語問題を考へる際の參考にはなるが、日本語の在り方についての主張がなく、戰後の國語改革が齎らした弊害についての言及が殆ど見られないことに物足りなさを覺える。

 千野栄一の「世界の言語問題と國語國字問題」は國家と言語(三千種以上あると信じられてゐる)の現状と問題點を知る上で有意義であるが、その「むすび」の中の「それぞれの言語、それぞれの國家に特殊な條件があるとはいえ、世界の言語に共通して流れる傾向にさからうことはできず、このことは取りも直さずアルファベット化に向うことを示している」「日本の特殊性を強調する文字は國際的に孤立する可能性のあることを考えなければならない」といふ一文には首肯し難いものがある。

 世界の趨勢がアルファベット化に向つてゐることは事實だとしても、だから日本もさうなるとは言へない。またさうなつてはならない。歴史的に背負つてゐる傳統・文化の重みが全く違つてをり、他の諸國の言語と日本語とを同日に論ずるのは亂暴である。日本が漢字假名交り文に固執することで孤立するなら孤立したでいいではないか。何も懼れるものはない。特殊性にこそ存在意義があり、特殊性にこそ國際性があるのではないか。

 「外來語の問題」を取上げた石野博史は「和製英語はもともと『日本語』であると考えるべきではなかろうか」と述べ、その立場に立てば「それは日本語の外國語消化力のたくましさを示すものではあっても、決して言語の病理現象などではないはずである」「どんなに外來語が増えても日本語は日本語でしかありえないであろう」と樂觀的な見方をしてゐるが、そんな呑氣なことを言つてゐる場合ではない。

 流動出版の『明治大雜誌』によれば、明治時代に創刊された主な雜誌百種の中に、雜誌名に外來語を用ゐたものは『倶樂部』の名が入つてゐる三種に過ぎない。大正時代になつて『キネマ旬報』『キング』『ダイヤモンド』の三種が加はり、昭和初期に『グロテスク』『エスプリ』『サタン』など十種ばかり外來語名の雜誌が創刊された。しかし、戰時中は外來語の排斥が行はれ、例へば『セルパン』は『新文化』に、『モダン日本』は『新太陽』に改題された。終戰直後には百種餘りの雜誌が創刊もしくは復刊されたが、外來語名の雜誌は『エコノミスト』『ソレイユ』『デモクラート』など二十種位であつた。それが今はどうか。平成の初めに書店で調べたら、週刊誌と月刊誌を合せて四百五十種のうち、外來語や外國語を用ゐてゐる雜誌が何と三分の二の三百種もあつた。今や意味不明の外來語や外國語が巷に氾濫してゐるが、片假名で書かれた外來語には漢字の持つ表意性がなく、造語力もあまりない。漢語なら同音でも一見して意味の區別ができるが、例へば「プロ」といふ外來語の場合、プロフェッショナルの意か、プロダクションの意か、プロセッサーの意か判別しにくい。「コン」に至つては、エアコンのコンディショナー、ミスコンのコンテスト、パソコンのコンピュータ、マザコンのコンプレックス、リモコンのコントロール等、恐らく十數種あらう。外來語の片假名書きはどうしても字數が多くなるから、「プロ」「コン」のやうに短縮することになり、意味が一層曖昧になつてしまふ。

 更に厄介なのは、TDL、ROD、SD、BSE、SARSのやうな英語の頭文字による表記である。TやRやSで始る單語は澤山あるから、かなり英語に堪能な者でも何の略なのか見當をつけるのは容易ではあるまい。國際交流が激しく、變化のスピードが速くて流入する外國語を一々日本語に譯出してゐる暇はないと言ふ國語學者もゐるが、時間はかかつても解り易い譯語を造る努力を惜しむべきではない。何も焦ることはない。少くとも百年後、いや、千年後の日本語といふものを念頭において、先祖から受け繼いだ日本語をよりよいものにして未來の日本人に傳へるべできである。「變化のスピードが速い」などといふ焦りは禁物である。
 
 菅野謙は「新聞用語・放送用語」において、『新聞用語集』を取上げ、當用漢字表にないことを理由に、挨拶を「あいさつ」、鵜飼を「ウ飼い」、勾配を「傾斜、こう配」、嗜好品を「好物、し好(品)物、愛好品」で表すことにつき、「このような、かな書き・書き換え・言い換えによって、現在の新聞紙面で使われる漢字の種類は、戰前の新聞紙面にくらべて大幅に少なくなり、多くの人々に容易に讀みやすい紙面となっていることについては、だれしも異存のないところであろう」と述べてゐるが、「ウ飼い、こう配、し好品」が讀み易く解り易いとは言へまい。

 同岩波講座『日本語』の第二卷『言語生活』(昭和五十二年十二月刊)の「マスコミと日本語」において、南博は日本語の正しさ、美しさの基準を問題にしない理由の一つを「どのようなことばが正しく、そのようなことばが美しいかという既成の價値判斷を、ひとつひとつのことばにあてはめること自體が、それこそ日本語をきゅうくつな枠にはめ込み、かえって結果的には、日本語をみだれさせることにもなるからである」と述べてゐるが、全く奇妙な論理である。我々が書いたり話したりする際、南の言ふ既成の價値判斷に頼る以外にいかなる據り所があると言ふのか。その價値判斷を當嵌めることがどうして日本語を亂すことになるのか。正しいとか、美しいとかの價値判斷は時代により、階層により異つてをり、絶對的な基準はないといふ考へが背景にあるやうだが、我々が書物を讀んで内容を理解できるのは共通の基準が存在するからである。共通の基準がなければ意思の疏通をはかることは出來まい。

 南は、子供がいはゆる「惡いことば」を「いくら使っても、それでパーソナリティが退廢するほど、精神的にひ弱ではなく、そこには一種の心理的な免疫ができているのである」と呑氣なことを言つてゐる。幼少の頃の言語環境がその人の言語感覺に決定的な影響を與へることは誰でも知つてゐることではないか。日本語に十分熟達し、正常な言語感覺を身につけた後ならいざ知らず、未熟な段階では樂觀できない。母親に向つて「てめえ、ひつこんでろ!」などと言へるのは心が病んでゐるからで、言葉づかひと精神状態とは決して無關係ではないのである。