『ことばの作法』と『日本語の作法』(八の41)

 昭和五十三年九月に出版された外山滋比古の『ことばの作法』は「人間關係がぎくしゃくしているのは、ことばづかいがまずいからだ」といふ觀點から、具體的に言葉づかひについてのエチケット、心得、感想などを述べたものである。例へば「ことばはお金では買えない。それだけに、美しいことばを使うことのできるのは、どんなおしゃれにもましたその人を立派に見せてくれる。敬語を使うのは封建的だなどとトンマなことを考えている人がまだあるようだが、お金のかからない、それでいてお金ではできない、おしゃれだと思ったらどうであろう」と敬語について書いてゐる。また「生れたての赤ん坊は、まだ、精神をもっていない。ことばをおぼえて人間らしくなる。ある特定のことばを習得したところで三つ兒の魂ができ、これが"百まで"ものを言う。その三つ兒の魂はやはりことばでできるものだ」「こどものことばが惡かったら、母親はひどい人だと思って、まず、まちがいない」と言葉について書いてゐる。なほ、外山は話し言葉による「かたりべ」文化に強い關心を寄せ、書き言葉による「ふびと」文化との一致、つまり新たな言文一致を考へてゐるやうだ。日本語の文章にリズムが乏しいのは日本人が「ことばの聲をないがしろに」してゐるからであり、それは明治以來の飜譯文化、印刷文化、漢字文化に由來するといふ指摘は一考に値する。

 昭和五十四年二月、森常治の『ことばの力學』が出版された。森は言葉の武器としての側面に注目して「ことばの戰爭はことばが本來もつ性質そのものから生じている」とし、言葉を單なる表現・傳達の手段ではなく、人間の思考を支配し、行動へ驅り立てるものとして捉へ、「われわれにとって必要なのは、ハウ・ツー、つまり表面上の技巧のレヴェルに留まることなく、ことばがその本質のなかに祕めているダイナミズム、ことばの力學をしっかりと押えたところで、われわれの對ことば戰略構想をうち樹てることである」と述べてゐる。我々は言葉の洪水の中で、言葉を驅使するといふよりは言葉に支配されてゐるやうに思はれる。言葉は人を喜ばせたり、安心させたり、興奮させたり、怒らせたり、悲觀させたり、時には人殺しをさせたりもする。確かに我々の生活が複雜になり、價値が多樣化すればするほど言葉の武器としての役割は増大するだらう。國際社會の分野においても、言葉の戰略といふものが益々重要になつてくることは疑ひない。

 同五十四年六月に出版された小沢重男の『日本語の故郷を探る』は、小沢が專門とするモンゴル語と日本語を對比して、兩者の親族關係を明かにしようとしたものである。小沢が提示した多くの例から、表現法、語形成を始め、母音變化の樣態、母音及び子音の交替、格助詞、動詞の語尾變化などの面にも確かに類似が見られるが、これによつて兩言語の同質性が證明されたとは言へない。

 同五十四年七月に出版された多田道太郎の『日本語の作法』は敬語、外來語、標準語、人稱代名詞等についての肩の凝らない隨筆集である。多田の意見は概ね穩當であり、例へば「やる」と「あげる」については「私自身は、子供には小遣いを『やる』ことにしており、小遣いを『あげ』はしないが、しかし、『やる』ではきびしすぎると感じる人を咎めることもできない」といつた具合に、意識して自分の主張を強く出すことを避けてをり、その點、物足りなく思ふ人もゐるだらう。また言葉について「ことばとは習慣である。そして習慣には、ふしぎな粘着力がある。簡單に合理化、標準化されるものではない」「片假名の洪水のような文章をみると、日本語らしい日本語を書いたらどうだい、と言いたくなる。漢字の連續で暗くなった文章をみると、もう少し片假名でも混ぜて明るくしたらどうかと思う」と言ひ、「許す」といふ言葉を取上げ「このことば、使いたくない。許容度などともいう。誰が、どういう權限で許したり、許さなかったりするのか。日本語についてそんな機能を與えられている人はどこにもいないはずである」と書いてゐる。