『國語改革を批判する』(八の49)

 昭和五十八年五月、『日本語の世界』第十六卷『國語改革を批判する』が出版された。戰前の國語改革の歴史を大野晉、戰後の國語改革の歴史を杉森久英が書いてをり、杉森は「日本語の正統は舊漢字、舊かなにあるから、これを遵守すべきだという議論には、良識ある人なら承服せざるを得ないだろう」が、「日本語のは、ほとんど元の姿に戻っていない」「文化の傳統、秩序、法則、風俗、習慣、何によらず、破壞することは簡單だが、復舊することはむずかしい。むしろ不可能だといっていいだろう」「歴史というものは、こんな風にして進んでゆくものなのであろう。善か惡か、正統か否かによってではなく、強いか弱いかの力の關係で動くものであろう」と述べてゐる。
 
 注目されるのは、學習院大博士課程在學中の岩田麻里の漢字の機能についての論文である。岩田は「複雜・繁雜・煩雜・煩瑣・煩多・厄介・造作」などの類語に相當する和語を探すのは容易でなく、強ひて擧げれば「ややこしい」だらうが、「ややこしい」よりは「複雜」の方が解り易く、「和語に置き換えても字音語の持つ意味やニュアンスを言い表すことのできない場合が結局大部分を占め」てをり、「和語で説明すると冗長になってしまい、字音語の齒切れの良さ、簡潔さが失われる上、ニュアンスや用法の違いがあることも否めない」「漢字を用いることがどれだけ語彙を豐富にしているかという證明である」とし、「字音語は、複雜な概念を三音節または四音節の一つの單語の中に込めることができるのである」「漢字が語彙を豐富にするのは、二字の組合せによって、つまり、二つの基礎概念を一語の中に含ませて、意味を細かく分析・説明する構造を持つからである」と説明してゐる。
 
入谷康夫は「國語改革の必然性を否定する者ではない」が「改革は、言葉を豐かに美しくする方向で、たつぷりと時間をかけて、自然の動きに添ひ、それを生かしながらなされるべきものである。戰後の一連の國語改革は、蒼惶の間に推進され、國民の言葉に對する感受性を甚だしく淺く貧しい方向へ切り詰め歪めたといふ點で、きはめて不幸な事態をもたらしたし、今後ももたらし續けるだらう」と書いてゐる。

 また、戰前の書き言葉中心から戰後の話し言葉中心へと變つた國語教育を體驗した山崎正和は「現状の話し言葉が無殘であることは、あまりにも明白である」と、その實例を示し「戰前の日本人たちは、自己の主張の點では遙かに控へ目であつたのにたいして、日常の會話においては遙かに雄辯であり、語ることに自信を示してゐたやうに思はれる。ユーモアの點でも、多彩な表現力の點でも、また、文章の持續力の點でも、私たち親たちの話し言葉は、少くとも昨今のそれよりはみごとであつたやうな氣がしてならない。そこには、言葉を選んで話すといふさり氣ない緊張がつねに感じられ、また、それを助けるために、さまざまな諺があり、慣用的な言ひまはしがあり、さらに、漢語的な表現の豐かさがあつた」のに對して、「私たちの話し言葉は記述に耐へず、書き言葉は朗誦に耐へないものが氾濫して」をり「この國の眞の國語改革はほとんど無限の遠きにある、と歎息する
ほかないのである」と述べてゐる。

 更に、丸谷才一は「この二、三十年のあひだに日本人の言語能力がこんなふうに多面的に向上した」のは戰後の國語改革のせゐではなく、「日本の文章全體の一應の成熟の前に、單に時間的に新假名づかひと當用漢字が先行してゐたことに目がくらまされたものにすぎない」とし、言語能力向上の要因として「進學率の増加」「ラジオとテレビの普及」「社會構造の變化」「呪術的言語觀の衰退」「精神の自由と言語の自由」等を擧げて論じてゐる。