『大岡信の日本語相談』(9‐22)

平成十四年九月に出版された『大岡信の日本語相談』は讀者の樣々な質問に答へたものだが、その中から國語問題に關はる記述を左に紹介する。
*私たちの日本語は千年前、二千年前の日本語から切り離されてあるものではなく、それらを含んで現在に生動しているものです。子供たちは、現代感覺にみちた歌と同時に、歴史が刻みこまれた歌、過去への想像的な旅を誘ひかけてくれる歌をもたくさん與へられるべきだと思います。
*漢字を音讀みの形で用いると、意味のなまなましさが拭いとられて、代わりに抽象性が増すのです。それは音讀みの言葉が、直接には意味をあらわさない音響の連續で成立っているからです。
*日本人が中國の漢字を輸入して日本語を表記するようになった時、これを音讀みと訓讀みの二樣に活用したのは、言ってみれば驚くべき天才的な知惠でした。しかし、音讀みの漢字は、それがもつ抽象性のおかげで、一方では實に豐かで高度な思想表現を可能にすると同時に、他方では一見立派そうで實は無内容、あるいはごまかしにすぎない物言いも大いに發達させました。
*前々から私も『------したいと思います』という言い方が日本語會話の中に急激にふえてきたことに對して、いやな感じを持っております。
*現代語を重點に置いた辭典の場合、------現代の誤った用法を、その誤りについて何の注意も喚起せず、ただ現代に通用している慣用句だからというだけで寛大に收録してゆくようになると、辭書そのものが言葉の混亂を積極的に助長するという妙なことにさえなるでしょう。