要  約


  最後に、全體を整理してみようと思ひます。例外として掲げた語が大體三百三十前後になりますが、そのうちやや機械的暗記法を必要とするのは、「を」「ゑ」「ゐ」三文字を含む古語くらゐ、および「ぢ」「づ」二文字の九十語くらゐといふことになりませうか。それも一つ一つ暗記しなければならぬといふわけのものではなく、たとへ語源を知らなくとも、いはば芋蔓(いもづる)式聯想作用によつて自然におぼえられる語が多いのです。
  また、本來語中語尾に現れるはずのない「あ行」文字を語中語尾に用ゐる語、すなはち「い」音便の三十四語、「う」音便の四十三語、それに「や行」「わ行」に活用する動詞三十語あまり、計約百語においては、いづれも合理的で語法と語源とを知つてさへゐれば、あるいはそれについて考へ類推する基礎訓練さへ出來てゐれば、別に大した苦勞もなく習得しうるものばかりであります。語中語尾に「わ」文字を用ゐる十七語についても同樣です。
  もし義務教育九年間を費して、この程度のことが教へこめぬとすれば、それは國語教師の失格と日本の國語教育の缺陷とを物語るだけのことと知るべきであつて、なにも歴史的かなづかひや國語そのものに罪を著せるにはおよびますまい。事實、國語問題の根本は國語教育にあるのです。人々*はその一番大事なことを見のがしてをります。過去何十年、いいかげんな國語教育をやつておきながら、それをそのまま現状肯定して、その皺よせをことごとく國語問題の領域に持ちこんでゐるのです。一體、これは何を意味するのか。いいかげんな教育に甘んじ、むしろその安易な状態を温存するために國字國語を簡便化しようといふのか、それともその反對に國字國語の簡便化を促進するために、いいかげんな教育をいいかげんなままにとどめておかうといふのか、その邊は甚だ微妙な問題でありますが、それはいづれ最後の章で國語問題の背景をなす革新派の文化感覺や精神構造を論じるさいに、改めて問題にしてみたいと思つてをります。
  實際、日本の國語教育は成つてをりません。といふより、それは國語教育などと稱しうるものではありません。明治以來、さう稱しうる時期は一度もなかつたのです。それは時勢に應じ、あるときは人格主義教育の、あるときは國家主義教育の、そして戰後の今日は民主主義教育の、単なる方便に過ぎなかつたのです。それは廣い意味での人間教育をほどこすための素材でしかなかつた。しかも始末の惡いことに、それを經(たていと)として文學教育といふ粗末な緯(よこいと)がいつも交ぜ織りされてゐたのです。元來、人格主義とか國家主義とか民主主義とかいふものは、それ自體では國語教育となんの關係も有しないものなのですが、文學教育といふ媒體と結びつくことによつて、どうやら國語教育の體裁を整へ、その枠内に取入れられるに至つたのであります。
  しかし、文學教育は國語教育ではありません。小學生や中學生に芭蕉や芥川龍之介の文學的價値とか作意を論じさせるなどといふことは、無能怠惰な教師の自慰にこそなれ、そんなことで國語教育が果されると考へるのはとんでもない間違ひです。數年前に『日本語を愛する人に』(昭和三十一年三光社刊)を上梓(じやうし)して好評だつた太田行蔵氏は有能老練な國語教師でありますが、その戰爭中の著書に『國語教育の現状』(昭和十七年白水社刊)*といふのがあつて、そのなかで氏は最も望ましい國語教育の在り方といふものを具體的に示唆してをります。現在の國語教育に疑ひをいだくまじめな國語教師にとつて必讀の書でありますが、氏の主張を一言にして盡くせば、國語教育は專ら語義と語法の教育にとどまるべきだといふことです。しかもその限界にとどまつてこそ、國語教育はいかに豊かで柔軟な力を發揮しうるかといふことを、氏は具體的に示唆してゐるのです。それによつて私たちは、従來とかく無味乾燥で機械的なものとして卻けられてきた語義や語法の教育が、小さな子供たちにいかに喜ばれるか、そして彼等の言葉にたいする關心や語意識をいかに深めるかといふことを如實に知ることが出來ます。
  私たちはさういふ眞の意味の國語教育を授けられてこなかつた。文學教育の交織でごまかされてきたのです。實はそのことが一部の表音主義者による「現代かなづかい」強制を成功させたのだと申せませう。私たち文筆家の大部分は歴史的かなづかひを教へられてきたとはいへ、その理法にも實際にも十分に通じてゐなかつたため、またそれが甚だ合理的なものであるといふ知識も、それが正しく書けるといふ自信もなかつたため、そのひけめのゆゑに抗議しかねてゐる隙に乘じられたのです。
  ひけめと言へば、私も同樣です。私も今まで無智のため數々の間違ひを犯してきました。だが、居なほるやうですが、それを恥ぢる必要はないと思つてをります。いや、恥づべきことかもしれませんが、氣がついたら徐々に改めてゆけばいいと思つてをります。現在の自分がうまく使ひこなせないからといつて、その非をただちに對象に歸してしまつたり、ひけめがあるから默つて引きこんでゐるといふのは、この場合、結果的には卑怯(ひけふ)といふことになりはしないでせうか。ことに、私たちの國語教育そのものに缺陷があつたとなれば、なほさらのことでせう。
  私たちが歴史的かなづかひに習熟しえなかつた理由として、いいかげんな國語教育のほかにもう一つ考へなければならぬことがあります。それは歴史的かなづかひが難しかつたからではなく、むしろ易しかつたからではないでせうか。私は逆説を弄(ろう)してゐるのではありません。そこには論者がとかく見落しがちな重大な問題があるのです。すなはち、過去の國語教育における漢字の偏重といふことがそれです。すなはち、不必要に漢字を使用することによつて、私たちはかなづかひ習得の義務と努力とを囘避しうるといふこと、また事實さうしてきたといふこと、のみならず、さうすることをまた國語教育が獎勵し、かつ強要してきたといふことであります。さういへば、問題はふたたび國語教育がいいかげんなものだつたといふことに歸しませう。
  試みに私が列擧した三百數十語のうち、普通漢字を使用する語を片端から消して行つてごらんなさい。大體勘定してみたところ、「を」「ゑ」「ゐ」を含む古語、「ぢ」「づ」を含む九十語といふのはそれぞれ二十語づつくらゐに減つてしまふでせう。また「い」音便の三十四語、「う」音便の四十三語もやはりそれぞれ十語未滿に減じ、語中語尾に「わ」を用ゐる十七語に至つては、ほとんどすべて漢字の陰にかくれて消滅してしまひます。漢字を用ゐても變らないのは「や行」の「え」を含む二十六語くらゐです。しかしこれで、三百數十語の例外が古語に滿たぬものになつてしまふのです。
  その結果、私たちが專ら注意を集中したのは語中語尾の「は行」すなはち「現代かなづかい」で「わ・い・う・え・お」と書くところを「は・ひ・ふ・へ・は」と書くこと、「うして」*「……のう」「書う」「(書く)でう」などの「お列」を長音を。印のやうに書くこと、それに「や行」「わ行」に活用する動詞において「い」と「ゐ」、「え」と「ゑ」を區別し、それらが語中語尾にもかかはらず「ひ」「へ」と書かぬこと、その程度で、あとは全く微々たるものに過ぎませんでした。
  大部分は「現代かなづかい」とさう違ひはしません。要するに、出來るだけ漢字を習得し、その廂の下に逃避するやうに心がければ、まづは無難といふわけです。歴史的かなづかひが易しかつたといふのはその意味です。しかも問題は、それが實際に易しかつたといふことにだけではなく、かな文字は易しかるべきものといふ觀念に私たちが支配されてゐたことのうちにあります。易しかるべきものに時間や努力をかけるはずがありません。私たちの子供の頃は漢字が「本字」あるいは「眞名」であつて、かなは「假名」に過ぎぬものだつたのです。試驗に漢字の書取は出ましたが、かなづかひの能力は試みられたためしがなかつた。かな文字使用はそれに該當する「本字」を習得するまでの過渡的便法でしかなく、少々間違つたところで大して意に介しなかつたのです。少くとも私たちは漢字が書けぬことや間違つた漢字を使用することを、誤つたかなづかひをするよりは遥かに恥としたものです。
  さらに問題なのは、さういふ心理は今日もなほ改つてゐないどころか、皮肉に言へば、「現代かなづかい」が不當に支持され、ぼろを出さずにすませてゐられるのも、實は同じ心理に頼つてゐるからだといふことです。これはある校正者の話ですが、歴史的かなづかひでなけれはいけないといふ「先生方」よりも「現代かなづかい」を積極的に主張する「先生方」のはうが、とかくかなづかひの間違ひが多いといふことです。これはやはり、かなづかひは易しかるべきものといふ觀念だけ先行するからで、「現代かなづかい」となれば、この傾向はますますひどくなり、一方、當人は實際にはかなづかひなど一向心にかけてゐないからにほかなりません。ですから、もしその人たちから漢字の隱れ簑を取り上げてしまへば、「現代かなづかい」すら使ひこなせぬその實態は一層あらはになることでせう。つまり、漢字のおかげで「現代かなづかい」は今日まで生きのびてこられたといふことになります。
  それだけではありますまい。彼等が隱れ簑に用ゐてゐる漢字のうちには「當用漢字表」以外のもの、あるいはその「音訓表」以外のものがたくさんあります。これはどう考へても矛盾です。よく引かれる例ですが、「生」といふ文字は「音訓表」だけに限つても、「セイ」「ショウ」の二つの音と「いきる」「うむ」「き」「なま」の訓があります。これは「は行」文字に唯二つの讀み書きを要求するのとどちらが難しいか。答へるまでもありますまい。しかし「は行」文字を二樣に讀むことを讀者に要求するのは無理であり不合理だと主張する人が、さういふ漢字の「わがまま」には甚だ寛容であるのが常です。それどころか「音訓表」以外の讀みを平氣で讀者に要求してをります。彼等は「生える」「生ひたち」「芝生」と書かないでせうか。また「名」*「く」「れる」「主」「飲」「つがひこ「る」「通」「書」「植木」「」「」「」等の「當用漢字表」にない漢字を、あるいは「だつ」「子」「取め」「掃」「手水鉢」「ぐ」「し」「濱」「始末」「い」「い」「れ」「あて」「房」等の「音訓表」にない漢字を用ゐないでせうか。
  「思へば」の「へ」を「東京へ」の「へ」と同音に讀ませることを強ひまいとまで神經を使つてゐる人が、同じく義務教育では教へられなかつたこれらの漢字の讀みを強ひてゐるのは、私など常識人には全く奇怪な現象としか思はれません。世間には私の國字改革にたいする抵抗を單なる片意地と見なしてゐる人もゐるやうですが、しかし、實際にはさはど難しくない歴史的かなづかひを目の敵にして、それより難しい漢字には寛大であるといふのこそ、いちわうは讀める讀めないの現實論をたてまへにしながら、むしろ超現實的な片意地に堕してゐるといふべきではないでせうか。國語國字がさういふ片意地に左石されてゐる現状を默つて見送つてはをられますまい。



* 同書の覆刻版を本協議會が昭和五十四年二月に刊行しました。頒價八百圓(在庫あり)。 覆刻版表紙



* 原著表記でJIS規格に無い文字(人々や少々の「々」に當る字)は止むをえず「々」に替へました。
* 原文で小丸「。」傍點附の文字は、本文では太字にしました。




(本文は『私の國語教室』著作權者の許可を得て掲載します。無斷轉載を禁じます)





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