弔     辭

  吉田さん、貴方は御專門の醫學で、世界的なお仕事をなさいました。癌の治療はそのお蔭で既に多くの進展を實現し、今後もそれを續けるでせう。
  併し、これと平行して、貴方は眞の日本人らしく、國語のため、ひいては日本の傳統文化のために、深い情熱を燃やして來られました。このことは世間には餘り知られてゐないかも知れません。
  敗戦の後わづか一年の秋、文部省の國語審議會は、極小數の偏つた思想を持つ人々を中心として、所謂当用漢字と新假名遣など、一連の改變を行ひました。それは國語をローマ字かカナモジで表記しようといふ極端な論者の企てたことでした。
  一國の文化にとつて最も大切な國語の問題を、彼らは全く獨斷的にまた輕率に取扱ひ、敗戰の直後、國民が今日の食事にも事缺くやうな混亂のさなかに、全く火事場泥棒に等しい卑劣な方法で、支離滅裂な改惡を強行しました。
  これは日本の傳統など眼中にない過激派の暴行でしたから、當然の結果として、心ある一流の文化人は一齊に反對し攻撃しました。併し文部省は内閣の訓令告示といふ形式を笠に被て頬被りを績け、これを非難した正しい文化人たちも、生活上の疲勞困憊もあつて、何時しか沈默するに至りました。
  この時に當つて、美しい日本の傳統文化を尊重し、國語審議會の暴拳に飽くまで反對の立場を取る有志は、國語問題協議會をつくり、亡き小汀利得氏を理事長に、國語を舊の正しい形に還す運動を始めました。
  吉田さん、貴方は癌研究所々長といふ重い責任の地位にあつて非常にお忙しかつたにも拘らず、此の運動に進んで參加なさり、常任理事として、また昨年からは副食長にもなつて盡力して下さいました。
  第七期の國語審議會委員の一人に選ばれなさつた時、貴方は多くの文部省側の委員を向うに廻して、堂々と正論を述べ、「國語の表記は漢字假名交り文を以て正則とする」との宣言を議決によつて明文化に導かれました。これはローマ字論者やカナモジ論者の謬つた考にはつきり止めを刺した重大な決定でありました。
  貴方が折々言つて居られた、「我々はものを考へる時に、漢字假名交りで考へてゐる」といふ御指摘は、常人の思ひ及ばぬ獨創的な發見で、事實は正にその通りです。
  吉田さん、貴方は癌の治療の黎明期に當つて、貴い生涯を閉ぢられました。併し貴方のお開きになつた道を、後輩諸氏が歩み續けて、やがて貴方の悲願を達成する日が來ることでせう。
  一方、國語ひいては日本の文化を輕視してゐる文部當局の愚劣な政策の結果、日本が臨んでゐる傳統文化の大きな危機にあたつて、貴方を喪つたことは、我國にとつて多大の損失です。けれども、貴方も御承知のやうに、今や志を同じくする頼もしい青年は次第にその數を増しつゝあります。我々もこの悲願の達成のため、狂濤を既倒に廻す努力を續けてまゐります。どうぞ安らかにお休み下さい。
         昭和四十八年四月三十日

國語問題協議會            
會 長   林    武   


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