坐談會「吉田先生を悼む」   (『國語國字』七十七號所收)

  出席者十七名。以下の拔萃の發言者は、順に、岩下保(主事)、市原豐太(常任理事)、木内信胤(理事長)、野田宇太郎(理事)、林武(會長)。

    〈前略〉
岩下  (略)當時のソニーの社長の井深大、あの人と漢字論爭をしたのです。そのときに私は傍聽をしたのですが、井深さんは、ものを考へるとき漢字がなくてもいいのではないかといふ考へ方でした。ところが吉田先生は、さうではない、私はものを考へるときは必らず漢字といふものを思ひ出して考へる、漢字無くしてものを考へることはできないといふ論爭をされるのですね。吉田提案といふのは、第六期の後半になつて先生が考へられたのではないかと……。
市原  さうでしたね、確か。
岩下  その前に大變國語問題を研究されて、石井先生の書かれた本とか、sc先生の『私の國語教室』とか。scさんの本は、外國旅行の時、鞄の中に入れて行つて、飛行機の中で讀まれたらしいですね。それから、文部省から審議會の際に出される資料を克明に讀まれたらしい。さうして色々研究の結果、國語審議がもたもたしてゐるのは、その前提である漢字假名交りを本體とすべきなのが、これがはつきりしてないからだ、これをまづ正さなければならないと言つて、吉田提案の第一號が出るのですね。その後第二號は、現代假名遣の前提となつてゐる現代語音といふものの解繹が一つもなされてゐない、現代語音とは何か、この解明を先づする必要があるのではないかといふものです。第三號は、石井方式が大變優れた漢字指導法であれば文部省としては率先して普及すべきである、價値のないものであるなら、價値がないといふことを言つて然るべきだ、かういふ提案ですね。
  それに「國語に於ける傳統の尊重について」といふ第四の提案がありますが、第一の提案は、吉田先生が六期、七期と委員をしてをられて、再三催促されるのですが、どうしても採上げて貰へなかつたわけです。さうして第七期の終りだらうと思ふのですが、採上げるやう強硬に會長に申入れてゐますが、その會の樣子は市原先生が一番詳しいのでは……。
    〈中略〉
木内  (略)私が一番知りたいのは、漢字假名交り文が本則だといふ提案を思ひついたきつかけは何なんだらう。
岩下  私はかういふふうに聞いてゐるのですが、時枝先生の『國語問題のために』といふ本が東大出版會から出てゐるのです。その本に「文字ハ音韻文字(フォノグラム)ヲ採用スルコトヽシ」といふ明治三十何年頃からの審議の前提が書かれてあつたのですが、それが今日まで國語審議會に受繼がれてきてゐるので、この前堤を先づくつがへさなければならないのぢやないかといふことで提案を決意されたのだと思ふのです。それはsc先生の『私の國語教室』の中にも書かれてゐますね。
木内  そのときには勿論、協議會はできてゐたのでせう。協議會があれを思ひついたわけぢやないのですか。
野田  それは話には出てゐましたよ。
木内  それに氣がついたのは……。
岩下  何と言つても吉田先生です。
木内  やはりそこに氣がついたのは偉い。
  偉いですよ。
    〈下略〉

戻る
閉ぢる