愛された毒舌
    ――小汀さんの思ひ出――

吉 田 富 三   

  亡き人の思ひ出は、心の奥に深く殘るものと、何となく淺い感じのものとあるやうだが、小汀さんの思ひ出は、私には深い所に殘つてゐる。小打さんとは二人だけで話し合つたといふこともないし、食事をしたといふこともない。國語問題協議會の理事會だけが人的接觸の場だつたから、同席者多數の中の一人としてのお附合ひに過ぎなかつたわけだが、その思ひ出が心の深い所にあるといふのは、小汀さんのお人柄によるもので、その人の發散されたものの強い精紳的浸透力によるものだらうと思ふ。
  小汀さんといへば、やつぱり毒舌である。あれは確かに比類のないものだつたと思ふ。毒舌に限らず、人の特技が有名な大看板になると、だんだんぞんざいになり、變性を示すことが多いのだが、小汀さんの毒舌は、いつも新鮮だつた。マンネリズムの厭味に陷らなかつた。その人の人格から自然に滲み出る本物の毒舌だつたからだらうと思ふ。つまり、毒舌といへば毒舌だが、あれは小汀さんの批評、或は評論のスタイルだつたのではないか。人を害ふことなく、棘のない、聞いてゐて明るく、だんだん樂しくなるものだつた。「毒語」といふ、聞くだけで胸の惡くなるやうな言葉があるさうだが、小汀さんのは、そんなものと全く無縁だつた。
  「學長なんてものぢやない。無學ですよ。あの男は……」
  これは小汀さんの或るときの或る學長評だが、私は「無學」といふ言葉の本當の意味を、裏からいへば、學問をするといふことの本當の意味を、このとき小汀さんから學んだやうに思ふ。

  話は急に飛ぶが、阿部(眞一)さんは、同じ早稻田の新聞人で、小汀さんとは親友の間柄だつたといふことである。私は東京都公安委員會で、委員長の阿部さんには親しく願つてゐる。小汀さんの沒後、阿部さんが未亡人を見舞はれた時の話を、つい先日、阿部さんから伺つた。
  小汀さん御夫妻は殊の他仲がよかつたさうである。入院中、奥さんは始終病院に通つて居られたが、最後の日に、――固よりそれが最後の日になるとは誰にも確實ではなかつたわけだが――病人の樣子が少しいい方なので、奥さんは一寸家へ歸へられたさうである。ところが急に病院から電話があつて、奥さんは急いで病院に戻られた。病人は、つい今し方、奥さんが出て行かれた時と少しも變らない樣子だつたので、覗き込んでみた奧さんは、思はず、
  「あんた、死んだの……」
  と聲をかけた。と、さういふ話なのである。この話をして、阿部さんは、
  「いい話ですよ。ね。飾り氣といふもののなかつた小汀の最後らしい話だ。仲のいい夫婦だつたんですよ。」
  とつけ加へられた。

(癌研究所所長・本會副會長)    


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