『國語國字』第21號〜第40號

発行年月日 西暦 著者 題名
21 昭和39年5月1日 1964 成瀬 正勝 第七期國語審議會に望む
  石川 梅次郎 名を正さんか
  第七期國語審議會委員名簿
  河野 多麻 歐米であった日本學の教授がた
22 昭和39年6月1日 1964 野田 宇太郎 原文のままならぬ國
  藤田 士郎 悲願=假名遣を本來の姿に
  北原 武夫 學ぶといふこと
  七理 重慶 漢字の性格について
23 昭和39年9月1日 1964 築島 裕 國字問題小見
  太田 行生 編輯者の立場から
  村上 元三 近頃思うこと
  太田 行藏 國語問題雜感
24 昭和39年10月1日 1964 宇野 精一 當用漢字について
  松本 洪
  松永 正修 國語問題雜感
25 昭和39年12月1日 1964 林 武 國學者の息として畫家として
  新田 大作 文化の日に憶ふ
  中村 保男 舊假名のテクスト
  石田 幹之助 どうも氣になる言葉
  石川 新次 思ひ出すこと
  田中 治郎左衞門 國語國字問題の根本問題點
26 昭和40年2月1日 1965 市原 豐太 國語問題に關する國民運動の提唱について
  戸塚 文子 地名のむずかしさ
  山岸 徳平 國語の問題及び漢文
  吉田 富三 國語審議會の審議する「國語」について
  福田 恆存 シェイクスピアの飜譯について
  芥川 比呂志 シェイクスピアの作品より
  木内 信胤 閉會の辭
27 昭和40年4月1日 1965 落合 欽吾 英語の綴りと改革
  嘉悦 龍雄 ローマ字論者に與ふ
  澤野 久雄 祖國喪失
28 昭和40年6月1日 1965 服部 嘉香 國語を亂す者は誰か
  村尾 次郎 最近の歴史教科書檢定問題と愚見
  進藤 純孝 知識人の體質改善を
  鈴木 重信 國語と教育
29 昭和40年9月1日 1965 木内 信胤 經濟と教育
  平林たい子 審議會に入つて
  神保 光太郎 ふたつの現象を通じて
  竹内 輝芳 著作權法と「現代假名遣」
30 昭和40年11月1日 1965 小汀 利得 NHKを叱る
  萩野 貞樹 萬福亭 三十助
  沒書になったわたくしの投書
  太田 青丘 最近の國語誤記の背景
  佐々木 奎文 樂書の背景
31 昭和40年12月1日 1965 御手洗 辰雄 言葉は符號ではない
  田 良平 當用漢字・略字・人名地名漢字など
  中西 悟堂 國語の喪失は國の喪失
  高倉 忠博 失地囘復策
32 昭和41年2月1日 1966 村松 嘉津 再びフランスより歸りて
  植松 正 法律家の見た國語改革
  福田 恆存 外來語
  吉田 富三 國語審議會の審議する「國語」について
  菅原 通濟 あきあきした梅雨にまた黴が生える
  荒木 萬壽夫 所感
  小汀 利得 閉會の辭
33 昭和41年4月1日 1966 早川 幾忠 文部省國語への抵抗
  徳田 進 流行語と古典
  松井 武男 國語意識論
34 昭和41年6月1日 1966 吉田 健一 私語
  松原 至大 國語と恩師たち
  近藤 啓吾 ことばずかい
  高橋 浩一朗 國語改革に惱まされる氣象用語
  福本 喜之助 轉來語外來語外國語と國語尊重の精神
35 昭和41年8月1日 1966 田中 美知太郎 國語問題は一般問題である
  落合 龍七 教育漢字について
  細木 勳 新聞記者の見た國語混亂の現状
  中原 弓彦 被害者の言
36 昭和41年10月1日 1966 野田 宇太郎 住居表示に顯はれた國語問題
  野溝 七生子 いつも考へてゐること
  田岡 典夫 私感
  田中 千禾夫 反省的に
37 昭和41年12月1日 1966 中河 與一 精神の破壞
  橋本 忠次 正統國語獨立國を創建せよ
  阿部 吉雄 教育の次元で解決せよ
  木村 毅 私の經驗
  佐伯 彰一 國語問題における幸と不幸
38 昭和42年2月1日 1967 福田 恆存 開會の辭
  大野 普 漢字の問題と假名の問題
  鈴木 重信 漢字と子供
  林 武 日本と國語
  今 東光 國語問題に關する若干の感想
  岸田 今日子 朗讀
  森田 たま 歐州より歸りて
  小汀 利得 閉會の辭
39 昭和42年4月1日 1967 結城 信一 敗戰國風景
  本間 久雄 國語問題囘顧
  山室 靜 とりとめもない感想
      長岡 彌一郎 「共通語」をやめて「標準語」と呼稱することを提唱する
40 昭和42年6月1日 1967 河野 多麻 日本語の人稱と個人意識
  青江 舜二郎 主犯は誰か
  細木 勳 原則一本が混亂の原因
  木島 茂夫 短歌實作者の立場から

戻る