號 | 発行年月日 | 西暦 | 筆者 | 題名 | 備考 |
41 | 昭和42年8月1日 | 1967 | 吉田 富三 | 漢字と假名 | |
山口 幸次郎 | 同音の漢字代用に就いて | ||||
木内 信胤 | 國語審議會に對する私の提案 | ||||
澤瀉 久孝 | 「ハ行かなずかひ」の復活 | ||||
久松 潛一 | 國語の學習について | ||||
42 | 昭和42年10月1日 | 1967 | 服部 嘉香 | 送りがな私見二三片 | |
茂手木 みさお | 假名遣雜感 | ||||
三浦 伊八郎 | 言語國語に就いての斷片 | ||||
犬養 道子 | 敬語 | ||||
43 | 昭和42年12月1日 | 1967 | 鹽田 良平 | ハワイの日本語と日本文 | |
細木 勳 | 當用漢字と新聞 | ||||
山室 百世 | ふるさと | ||||
岡本 豐 | 戰後の國語改革について | ||||
杉野 元紀 | 歴史的かなずかひの復活こそ急務 | ||||
山口 幸次郎 | 當用漢字ないないづくし | ||||
44 | 昭和43年2月1日 | 1968 | 田邊 萬平 | 開會の辭 | |
木内 信胤 | 國語審議會と私の提案 | ||||
中西 悟堂 | 殺語殺人 | ||||
澤瀉 久孝 | ハ行假名遣の復活 | ||||
林 武 | 新しい國語の建設 | ||||
福田 恆存 | 身振りとしての言葉 | ||||
伊藤 幸子 | 朗讀 | ||||
福田 恆存 | 閉會の辭 | ||||
45 | 昭和43年4月1日 | 1968 | 小堀 杏奴 | 視覺と聽覺 | |
林 巨樹 | 斷絶の危機 | ||||
井上 文克 | 石井方式に據る幼稚園教育 | ||||
高田 博厚 | 日本語について | ||||
高野 啓二郎 | 假名遣に對する國文學者の態度 | ||||
46 | 昭和43年6月1日 | 1968 | 村尾 次郎 | 言葉と歴史 | |
澤柳 大五郎 | 行きがかりを捨てて靜に考へよう | ||||
二宮 冬鳥 | 不活用語尾について | ||||
近藤 祐康 | 國語表記に於ける範圍と基準について | ||||
47 | 昭和43年8月1日 | 1968 | 宇野 精一 | 國語審議會第八期の報告と第九期への要望 | |
寶田 正道 | 國字の略字體が流す害毒 | ||||
眞田 彌生 | 幼稚園兒の漢字指導 | ||||
48 | 昭和43年10月1日 | 1968 | 成瀬 正勝 | 日本語と國際性 | |
高井 有一 | 憂鬱な話 | ||||
岡本 豐 | 「日本語を考へる」を讀んで | ||||
49 | 昭和43年12月1日 | 1968 | 森 茉莉 | 日本語とフランス語 | |
金田 智成 | 日本文化の特質と日本語 | ||||
井上 萬壽藏 | 一つの提言 | ||||
横地 末次郎 | 學生騷擾 | ||||
鍾 壁和 | 漢字を大切に | ||||
50 | 昭和44年2月1日 | 1969 | 宇野 精一 | 開會の辭 | |
林 巨樹 | 斷絶の危機 | ||||
木内 信胤 | 審議の經過を顧みて | ||||
浦松 佐美太郎 | 言葉の意味 | ||||
松田 摩耶子 | 日本語教育と文化 | ||||
石井 勳 | 幼兒と漢字 | ||||
小汀 利得 | 國語改革を貫く強い偏見 | ||||
村尾 次郎 | 閉會の辭 | ||||
51 | 昭和44年4月1日 | 1969 | 河野 多麻 | 國語の諸問題 | |
細木 勳 | 國語政策の誤りを正せ | ||||
52 | 昭和44年6月1日 | 1969 | 田所 義行 | 國語政策とゲバ棒 | |
笹澤 美明 | 國語の亂れとその背景 | ||||
大沼 英太郎 | 新聞への要望 | ||||
竹内 輝芳 | 假名遣の憶え方一案 | ||||
53 | 昭和44年8月1日 | 1969 | 阿部 吉雄 | 漢字の讀み先習について | |
山口 朝生 | 日本語の將來 | ||||
神代 敏子 | 所感 | ||||
萩野 貞樹 | 高校生の敬語意識と國語改革の思想 | ||||
54 | 昭和44年10月1日 | 1969 | 三瀦 信吾 | 國語問題とデモクラシー | |
武中 來 | 漢字の造語力に就いて | ||||
55 | 昭和44年12月1日 | 1969 | 森田 たま | 國語のあり方 | |
田中 隆尚 | 假名遣改變のころ | ||||
吉阪 隆正 | 世界的視野で | ||||
56 | 昭和45年2月1日 | 1970 | 木内 信胤 | 世界の新情勢とわが國國語問題の新轉機 | 第十一囘講演會特輯 |
阿部 吉雄 | 國語施策と國語教育 | ||||
早川 幾忠 | 有能であつた日本國語 | ||||
進藤 純孝 | 文化の心・言葉の心 | ||||
林 武 | 中心論 | ||||
村尾 次郎 | 閉會の辭 | ||||
57 | 昭和45年4月1日 | 1970 | 信貴 英藏 | 新送りがなどうなつたか | |
嘉悦 龍雄 | 新字體考 | ||||
杉本 新平 | 國語を愛する | ||||
武田 忠明 | 國語問題と私 | ||||
58 | 昭和45年6月1日 | 1970 | 宇野 精一 | 新字體の禍 | |
村松 嘉津 | 戰後の祝祭日と語感の變化 | ||||
澤柳 大五郎 | もう一つの言論抑壓 | ||||
大沼 英太郎 | 國語禮讚 | ||||
59 | 昭和45年8月1日 | 1970 | 吉田 富三 | 「音訓・送りがな改定案」所感 | |
太田 行藏 | ニホンとニッポン | ||||
林 巨樹 | 大それた事と氣付かば | ||||
60 | 昭和45年11月1日 | 1970 | 田邊 萬平 | 國語政策の暴力とその爪痕 | |
落合 欽吾 | 國語の公害を除け | ||||
松井 武男 | 漢字圈の分岐 |