『國語國字』第121號〜第140號

発行年月日 西暦 著者 題名 備考
121 昭和59年2月1日 1984 市原 豐太 「臘梅」を讀みて  
    太田 青丘 「われ山にむかひて」の風格  
    本田 孟 まかり通るニセ文字たち  
122 昭和59年4月1日 1984 林 巨樹 國語假名遣と字音假名遣  
    村松 日本文化國語問題次號掲載  
    木内 信胤 「假名遣委員會」の動向と我々の仕事  
123 昭和59年6月1日 1984 木内 信胤 「現代カナ遣」の改良案  
    太田 行藏 戦争である  
124 昭和59年9月1日 1984 野田 英二郎 日本語の現状について 三十一囘講演會特輯
    中島 文雄 日本語らしさ  
125 昭和59年11月1日 1984 太田 行藏 手で讀む國語  
    松井 武男 「西表島」「大東島」の呼び方  
    畔上 知時 外來語と字體と  
126 昭和60年3月1日 1985 岩下 保 本會二十五年の歩みと思ひ出 三十二囘講演會記録
    市原 豐太 日本人の清潔愛 創立二十五周年記念
    木内 信胤 國語問題からみた戰後日本の歩み  
127 昭和60年5月1日 1985 太田 行藏 天の原ふりさけ見れば  
    松井 武男 通貨單位の名稱  
    若井 勳夫 「改定現代假名遣()」への提言  
128 昭和60年7月1日 1985 太田 行藏 永劫中一瞬  
    野田 廣太朗 技術用語に關する三つの憂ひ  
129 昭和60年9月1日 1985 高井 有一 小説家の立場から 三十三囘講演會記録
    澤柳 大五郎 人文指數  
    木内 信胤 よき國語政策とその實踐  
130 昭和60年11月1日 1985 太田 行藏 人間囘歸  
    萩野 貞樹 現代假名遣問題の一の見方  
131 昭和61年2月1日 1986 木内 信胤 これからの國語問題への取組 三十四囘講演會記録
    中村 元 戰後の國語政策 今後國語教育
    石井 勳 主題提示 討論
      質疑泰彦信吾木内信胤  
132 昭和61年4月1日 1986 太田 行藏 國語教育の実年  
    筧 泰彦 漢字か、本字か  
133 昭和61年6月1日 1986 石井 勳 日本語の表記について  
    若井 勳夫 「改定現代假名遣」じ・ず・ぢ・づの問題點  
    本田 孟 思考は奪はれたか  
134 昭和61年8月1日 1986 木内 信胤 戰後の國語政策について 三十五囘講演會記録
    石井 勳 國語教育はどうあるべきか  
    高橋 美江 母親からみた國語問題  
    岩下 保 歴史的假名遣の尊重  
    林 巨樹・他 國語教育の諸問題 討論
135 昭和62年2月1日 1987 林 巨樹 新田大作さんを悼む  
    関 正臣 祭文  
    岩下 保 戸籍法五十施行規則 六十ちに撤廢すべし  
    杉野 元紀 國語國字百三十四んで  
    臼井 武夫 鐡と鐵  
    石井 亟懐細か  
    關屋 研究めよう  
    淺田 感想  
136 昭和62年3月1日 1987 筧 泰彦 國語教育の一つの土臺 三十六講演會記録
    滝澤 幸助 國語問題についての私見  
    木内 信胤 國語教育を中心とするこれからの教育の在り方  
137 昭和62年6月1日 1987 林 巨樹 時枝理論の理解のために  
    岩下 保 鐡、鐵、鉄、040284.gif (125 bytes)そしてE電  
    本田 孟 標準和名は正しい日本語で  
    畔上 知時 誤用とその定着(1)  
138 昭和62年9月1日 1987 村尾 次郎 私の受けた國語教育 三十七囘講演會記録
    船田 元 戰後世代と國語問題  
    木内 信胤 國語問題協議會の新しい仕事について  
    宇野 精一 書評村尾博士傳統意識美學  
139 昭和62年11月1日 1987 岩下 保 國語問題に對する世間の考へ方が變りつつあることについての所見  
    畔上 知時 誤用とその定着(2)  
140 昭和63年3月1日 1988 宇野 精一 人名漢字について 三十八囘38講演會記録
    小堀 杏奴 二人で歩いて來た道  
    木内 信胤 我々の教育改革論  
    岩下 保 幼兒はみんな天才石井 書評

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