宣言
國語は危機にある。
その原因は、國語そのもののうちにあるのではない。戰後、國語表記の矛盾と混亂とを解決するためと稱して行はれた「現代かなづかい」「當用漢字」「音󠄁訓整理」「新送󠄁りがな」等、一連の國語政策のもたらした矛盾と混亂とこそ、その原因である。それらの政策は、事實上抗しがたい強制力をともなつて行はれたばかりでなく、單純な便宜主󠄁義の立場から國語の本質を無視し性急󠄁に國語表記の簡易化󠄁を計らうとしたものである。當然その方向はローマ字、あるいはかな文字による表音󠄁文字化󠄁を志向する。
われわれも簡易化󠄁そのものには反對しない。その實現のためには、應分の努力を惜しまぬものである。しかし、文字は言葉のためにあり、國字は國語のためにある。文字を易しくすることによつて、言葉の正しさを歪めてはならない。國字の簡易化󠄁はあくまで國語の正しさを守るためのものであり、その限度內にとゞまるべきものである。
戰後の國語政策は、國語そのものの性格に對する認󠄁識を缺き、十分な調󠄁査硏究を經ずしてひたすら簡易化󠄁を事とした。しかも、そのために生じた矛盾は、簡易化󠄁の美名におほはれて、そのまゝ容認󠄁されてゐる。のみならず、それがあたかも、わが國語國字のまぬかれがたい性格に基くものであるかのやうに宣傳されてきたため、遂󠄂に國民の間には、國語國字を輕視し、時には、嫌󠄁惡するかのごとき風潮󠄀が起󠄁り、又その矛盾からのがれるためには、表音󠄁主󠄁義に徹するほかはないと考へるものさへ生じつゝある。このまゝ椎移すれば、人々は國語國字について何が正しいかといふ言語意󠄁識を失ひ、矛盾や不合理に反撥する健康な語感の痲痺を、ひいては思考力、表現力の低下を招くに至るであらう。これをわれわれは國語の危機と呼ぶ。
こゝに國語問題協議會は事態のこれ以上の惡化󠄁を防ぐために、次󠄁のことを要󠄁求する。
文部省及󠄁󠄁び國語審議會に對して――
- 一、既住󠄁の改革案について、その意󠄁圖、竝びに、その根據、資󠄁料を示すこと。
- 一、改革案の矛盾と混亂とをどう處理するつもりか、その見通󠄁しを示すこと。
- 一、改革案の敎育への適󠄁用は見合はせること。
- 一、誤󠄁つた言語觀に基く國語敎育の實情󠄁を認󠄁識し、早急󠄁にその再建をはかること。
內閣に對して――
內閣吿示をもつて輕々に左右しうる現在の在り方を改めること。
- 一、國語問題硏究機關を強化󠄁し、それによる十分な調󠄁査硏究に基いて國語政策を推進󠄁すること。
- 一、成󠄁案の作製については文部省國語審議會等の政府機關による專斷に委さず、廣く專門家、有識者の意󠄁見を尊󠄁重すること。
なほ同時に、國語問題協議會はその設立目的󠄁に副ひ、次󠄁のことを行ふ。
- 一、言語道󠄁具󠄁說、表音󠄁主󠄁義が古い自然主󠄁義的󠄁言語觀に發し世界の新しい趨勢に背くものであることを明󠄁らかにし、正しい言語觀の確立と啓󠄁蒙につくすこと。
- 一、誤󠄁つた國語政策の內容を國民一般に知らせ、人々の自覺に訴へること。
- 一、言論、報道󠄁機關竝びに國語敎育界の協力を求めること。
- 一、かなづかひ、漢字、送󠄁りがな等の諸問題につき、國語、國字の本質に卽した調󠄁査、硏究を行ふこと。
右の宣言に從ひ、われわれは、祖先のものであり、われわれのものであり、さらに子孫のものでもある國語國字の正常な在り方を見出すために、今後あらゆる機會に着實、適󠄁切な行動を展開して行きたい。廣く國民の理解と支持を期󠄁待する。
昭和三十四年十二月󠄁十七日 國語問題協議會