「資󠄁料集」に戾る

假名遣󠄁意󠄁見 森 鷗外

〔前󠄁置の說明󠄁〕

 明󠄁治卅三年八月󠄁、文部省令をもつて小學校敎科書中の字音󠄁假名遣󠄁が發音󠄁式に改められた。いはゆる棒引假名遣󠄁である。文部省は更に卅五年三月󠄁、國語調󠄁査委員會を設置、この委員會では「音󠄁韻文字採󠄁用」の方針を決議した。そして明󠄁治卅八年三月󠄁、文部大臣は國語調󠄁査委員會に「國語假名遣󠄁改定案」「字音󠄁假名遣󠄁ニ關スル事項」等を諮󠄁問した。これに對し、「國語會」「國語擁護會」等が設立されて、假名遣󠄁變革反對の聲が全󠄁國に高まつた。つひに文部省は、四十一年五月󠄁臨時假名遣󠄁調󠄁査委員會を設置、「國語及󠄁󠄁字音󠄁ノ假名遣󠄁ニ關スル事項」を調󠄁査せしめるに至つた。この委員會は七月󠄁までに五回會議を開いたが、委員の森鷗外は、六月󠄁、同委員會において假名遣󠄁に關する演說を行つた。この中正穩健な意󠄁見は、伊澤修二委員の熱烈な正論と相表裏して、つひに九月󠄁七日文部省をして諮󠄁問案を撤囘せしめるに至らしめたのである。

《附記:『國語國字』第一號では、(菊版鷗外全󠄁集より)となつてゐますが、演說の速󠄁記錄から書き起󠄁こしたものであり、隨所󠄁に疑問箇所󠄁がある版なので、本ホームページでは木下杢太郞の校閱になる岩波書店昭和二十七年版によることとしました。》

假名遣󠄁意󠄁見 森 鷗外

 私は御覽の通󠄁り委員の中で一人軍服󠄁を着して居ります。で此席へは個人として出て居りまするけれども、陸軍省の方の意󠄁見も聽取つて參つて居りますから、或場合には其事を添󠄁へて申さうと思ひます。最初に假名遣󠄁と云ふものはどんなものだと私は思つて居るか、それから假名遣󠄁にはどんな歷史があるかと云ふことに就て少し申したいのであります。既に今日まで大槻博士、藤󠄁岡君等のやうな老先生、それから專門家の芳賀博士等が斯う云ふ問題に就いては十分御述󠄁べになつてありますから、大抵盡きて居ります。それから當局の方でも又調󠄁査の初めから此事に關係して居られる渡部君の如きは詳しい說明󠄁を致されました。其外達󠄁識なる矢野君の如き方の議論もありました。又自分の後に通󠄁吿になつて居ります中には伊澤君のやうな經驗のある人もあります。又其の他諸先生が居られる。然るに私が斯んな問題に就いて此處で述󠄁べると云ふのは誠󠄁に無謀であつて甚だ烏滸がましいやうに自分でも思ひます。倂し私は少し今まで聽いたところと觀察が違󠄂ひますので、物の見やうが違󠄂つて居りますので、それを述󠄁べて置かぬと云ふと、後に意󠄁見が述󠄁べにくいのであります。それゆゑ已むことをえず申します。

 一體假名遣󠄁と云ふ詞は定家假名遣󠄁などと云ふときから始まつたのでありませうか。そこで此物を指して自分は單に假名遣󠄁と云ひたい。さうして單に假名遣󠄁と云ふのは諸君の方で言はれる歷史的󠄁の假名遣󠄁卽ち古學者の假名遣󠄁を指すのであります。而も其の假名遣󠄁と云ふ者を私は外國のOrthographieと全󠄁く同一な性質のものと認󠄁定して居ります。芳賀博士の奇警なる御演說によると外國の者とは違󠄂ふと云ふことでございましたが、此點に於ては少し私は別な意󠄁見を持つて居ります。主󠄁もに違󠄂ふと云ふことの論據になつて居りまするのは外國のOrthographieは廣く人民の用ゐるものである、我邦の假名遣󠄁は少數者の用ゐるものであると云ふことであります。倂しさう云ふやうに假名遣󠄁が廣く行なはれて居らぬと行はれて居るとの別と云ふものは、或は其の國の敎育の普及󠄁󠄁の程󠄁度にも關係します。又敎育の方向、どう云ふ向きに敎育が向いて居るかと云ふことにも關係しますのであります。元來物の性質から言つて見れば、外國のOrthographieと我が假名遣󠄁とは同一なものである。同一に考へて差支ないやうに信じます。一體假名遣󠄁を歷史的󠄁と稱するのは、或る宣吿を假名遣󠄁に與へるやうなものであつて私は好まない。一體假名遣󠄁を觀るには凡そ三つの方面から觀察することが出來ようと思ひます。卽ち一は歷史的󠄁の方面である。一は發音󠄁的󠄁卽ちPhonetikの方面である。其の外にまだ語原的󠄁卽ちEtymologieから觀ると云ふ見方がございますけれども、是れは先づ歷史的󠄁と或る關係を有つて居るやうに思ひます。一國の言葉が初め口語であつたのが、文語になる時に、此の日本の假名のやうに音󠄁字を用ゐて書上げると云ふ、さう云ふ初めの場合には、無論假名遣󠄁は發音󠄁的󠄁であるには違󠄂ひない。

 然るに其の口語と云ふものは段々變遷󠄁して來る。一旦書いたものが其の變遷󠄁に遲れると歷史的󠄁になる。そこで歷史的󠄁と云ふことが起󠄁つて來ます。それであるから何の國の假名遣󠄁でも保守的󠄁の性質と云ふものを有つて居るのは無論である。日本のも同樣と思つて居る。さうして見れば之に對して改正の運󠄁動が起󠄁つて來ると云ふことは無論なのであります。必然の勢であります。又それを改正しようと云ふには發音󠄁的󠄁の向きに改正しようと考へるのは是れも亦必然の勢であります。此側の主󠄁張は殊に大槻博士の御說が最も明󠄁瞭に、最も純粹に私には聽取られました。假に今日發音󠄁的󠄁に新しく或る假名を定められたと考へませう。さうしたならば此の新しい假名遣󠄁が又間もなく歷史的󠄁になつてしまふのであります。語原的󠄁と申す意󠄁味を此處に說明󠄁しますると云ふと、是れは歷史的󠄁と密接の關係を持つて居ります。外の國のOrthographieに於て語原的󠄁と云ふことには一種の特殊な意󠄁味を有たせてあります。一例を以て言ひますると、國語の「すう」と云ふことは之を「すゑ」と云ふときには和行の「ゑ」を書く。是れは獨逸の例で言ひますと、獨逸で「愛する」と云ふ詞でliebenと云ふ動詞があります。之れを形容詞にするとliebとなります。けれども「プ」の字を書かずに「ブ」の字を書いてある。斯う云ふ意󠄁味に假名遣󠄁の發音󠄁と相違󠄂する點を、主󠄁もに語原的󠄁と外國では申して居るやうであります。斯う云ふ側のことを藤󠄁岡君の音󠄁義說に於て五十音󠄁圖に照して御說明󠄁になつたのであります。

 一體本會の狀況を觀ますると云ふと、抑も假名遣󠄁と云ふものの存在からして疑はれて居る。有るか無いか有無の論、少くも定つて居るか定つて居らぬかと云ふ定不定の御論があるのである。當局は兎に角極つた假名遣󠄁と云ふものはあるものだとお認󠄁めになつて居ります。倂し芳賀博士の如きは、三宅博士にお答になつた言葉で見ると云ふと、多少條件付で假名遣󠄁の存在を認󠄁めて居られるけれども、殆ど極つて居らぬと云ふやうな風に御述󠄁べになつて居るやうに聽きました。其の極つて居らぬと云ふのは少數者しか用ゐて居らぬと云ふ意󠄁義であつたやうに聽きました。之に就いては私は後に又自分の意󠄁見を申します。自分は假名遣󠄁と云ふものははつきり存在して居るもののやうに認󠄁めてをります。契冲以來の古學者の假名遣󠄁と云ふものは、昔の發音󠄁に基いたものではあるけれども、今の發音󠄁と較べて見ても其の懸隔が餘り大きくはないと思ふ。卽ち根底から之を破壞して新に假名遣󠄁を再造󠄁しなければならぬと云ふ程󠄁懸隔しては居らぬやうに見て居ります。凡そ「有物有則」でありまして口語の上に既に則と云ふ者は自然にある。此の則と云ふ事は文語になつて來てから又一層精しくなるのであります。世界中で最も發音󠄁的󠄁に完全󠄁な假名は古い所󠄁ではSanskritの音󠄁字、新しい所󠄁では伊太利の音󠄁字だと申します。而も我假名遣󠄁と云ふものはSanskritに較べてもそんなに劣つて居らぬやうな立派なものであつて、自分には貴重品のやうに信ぜられまする。

 どうか斯う云ふ貴重品は鄭重に扱󠄁つて、縱令それに改正を加へると云ふにしても、徐々に致したいやうに思ふのであります。Max Muellerの言葉に「口語に頭絡と韁とを加へて文語を作つて居る」と云つて居ります。馬の頭に掛ける馬具󠄁であります。日本の文語に於ける假名遣󠄁と云ふもの、此の韁は決して朽て用に堪へぬ樣になつて居るのではない、まだ十分力のあるものだと云ふことを自分は信じて居ります。

 そこで假名遣󠄁の歷史に付きまして自分の觀察を異にして居る點を二、三申したいと思ひます。古代の假名遣󠄁、殊に延󠄁曆遷󠄁都前󠄁の假名遣󠄁に付きまして大槻、芳賀兩博士等の御論がありました。其の大意󠄁は是れは其の當時の國民普通󠄁の口語であつて、是れが此頃出來た出來たての假名で發音󠄁的󠄁に書かれたものである、國民が皆之れを用ゐて居る、丁度現狀の反對である、斯う云ふ風な御論でありました。そこでさう云ふ國民全󠄁體が用ゐて居りまする假名遣󠄁に、本當の存在權があるのである、今日のやうに少數者のものになつては、最早活きて居ない、死物になつて居ると云ふ風に聽取れました。扨それから時が移つて次󠄁の期󠄁に入ります。遷󠄁都後天曆までと限りませう。是れは古事記傳に斯う云ふ境界を立つたのが初めでありませう。天曆まで卽ち十世紀頃であります。

 この間に音󠄁便が生じて來たと云ふことは今までの御論にもありました。此の音󠄁便と云ふ者は最早是れは文語の衰替の現象である。其の事は本居あたりでも「くづれたるもの」と云ふことを云つて居ります。衰替の現象であります。倂し兎に角それが直ちに發音󠄁的󠄁に寫されて居ります。扨是迄の假名は國民の共有物である、此後には少數者の使ふものになつたと云ふことに多くは見られて居ります。倂し斯う云ふ古い時代の假名遣󠄁が果して國民一般のものでありましたか。此問題に付いては外國の例を較べて見ますと云ふと、餘程󠄁疑ふべき餘地があるやうに思ふ。Max Mueller等は、Dialect卽ち方言と云ふ詞を斯う云ふ所󠄁に用ゐます。古代に於ては何處の國でも方言は澤山あつた。其の中或る者が勢力を得て、それが文語になると云ふと、他の方言は勢力を失ふからして、其の文語の爲に壓倒せられる。斯う云ふ風に認󠄁めて居りまするが、或は我邦の古代でも文語になつて居る言葉の外に澤山の方言があつたのではあるまいかと思ふのであります。さうして見ると假名遣󠄁は既に出來た初めから少數者の假名遣󠄁を多數者に用ゐさせるものでは無かつたらうかと云ふ疑があり得ると思ひます。古い拉甸語の如きはあれはLatiumの中のRomaの中の上流者の言葉である。それをLivius Andronicusなどの力で文語として、それを編󠄁成󠄁して、そこで拉甸語と云ふものが段々に歐羅巴全󠄁體にまで行はれるやうになつたと論じてをります。

 或は日本のも初めからそんなものではあるまいか。さうして見ると云ふと、昔の假名遣󠄁は國民全󠄁體の用ゐたものであるから是れは存在する權利があるが、今日は少數者が用ゐるからさう云ふ權利がないと云ふ議論は、或はさう疑も無い事實としては認󠄁められぬかとも思ふ。それから中世になりまして次󠄁第に此の一旦定つた文語の衰替を來し、言葉が亂れる、それを正さうと思ふ個人の運󠄁動が起󠄁つたのでありませう。先日も御引きになつた藤󠄁原基俊の保延󠄁のころ卽ち十二世紀の「悅目抄」の假名遣󠄁、初て此の假名遣󠄁で詞の上中下に置く假名と云ふやうなことが出て來ました。次󠄁いで所󠄁謂定家假名遣󠄁が出て參りました。定家假名遣󠄁と云ふのは、定家卿が「拾遺󠄁愚草」を淸書させるときに大炊介親行と云ふ人に之れを命じた、其の親行が書き方を定めたと云ふことに傳はつて居ります。世間に流布してゐる定家假名遣󠄁と云ふものは親行の孫の行阿の「假名文字遣󠄁」に據るので、是れには種種な版があります。假名遣󠄁と云ふ語は一體其の邊から起󠄁つたのでありませう。此の定家假名遣󠄁と云ふものを國語の變遷󠄁に伴󠄁つて發音󠄁的󠄁に作つたものだと云ふやうに見た人も前󠄁からあります。けれども、どうもさうでないやうに思ふ。兎に角素直に發音󠄁に從つて作つたものでない、いろいろな理屈がある。例へば四聲に由ると云ふやうなことを盛󠄁んに說いてあります。此四聲と云ふものに依つて定める定め方は頗るこじつけではあるまいかと思はれます。

 芳賀博士も獨斷だと仰しやいましたが、餘程󠄁獨斷でございませうと思ひます。醫者の本を見ますると、中頃に陰陽五行を以て有ゆる病氣のことが說明󠄁してあります。丁度あゝ云ふ氣持がします。一體此中頃の定家假名遣󠄁と云ふものを國語の變遷󠄁と見るべきでありませうかと云ふことが問題であります。一體國語の變遷󠄁と云ふものは無論口語卽ち方言にのみある筈である。是れはさうではなくして文語だけの一時の現象である。變遷󠄁と云ふことをMuellerは二つに別つてをりまして、言葉が本當に生長するのが本當の變遷󠄁である、それから言葉が衰替して來るのは別であると云つて居りますが、無論生長と云ふことは口語にしか無いのでありまして、假名遣󠄁にはないのでありますから、さうして見ると衰替現象であるのは明󠄁白であります。此の衰替の中でも殊に定家假名遣󠄁などは或時代の一の病氣のやうに見られるのであります。芳賀博士は少し之に付いて杞憂を抱󠄁いて御出でになる。それは若し斯う云ふ時代の中世の變遷󠄁を認󠄁めなかつたならば、鎌󠄁倉以後の文學が度外視せられはすまいかと云ふのであります。其の主󠄁もなる證據は所󠄁謂「いひかけ」が證據になつて居る。是れは私はさうは思ひませぬ。「いひかけ」と云ふものは古代は少かつたのであります。萬葉集あたりは極く少い。「名が立つ」を「立田山」にかける等、成󠄁程󠄁皆同音󠄁である。同じ音󠄁でなければ「いひかけ」になつて居ない。然るに既に定家卿より前󠄁にも、是れが變化󠄁して來まして、變つた音󠄁の「いひかけ」がある。

 俊成󠄁卿は逢󠄁ひと云ふ波行の「あひ」を草木の和行の藍に、其の外戀を木居にかける。こんな「いひかけ」が出て來ます。是れが成󠄁程󠄁定家假名遣󠄁の出た後には愈々盛󠄁んになつて來て居りますけれども、是れは單に修辭上Rhetorik上の問題であります。昔は同音󠄁の「いひかけ」と云ふものがあつたのに、後世に至つて類音󠄁の「いひかけ」が出來たと斯う認󠄁定すれば、それで足つて居るのであります。之に付いて何か後世の人が極まりを付けようと思ふならば、上からかかつて居る假名に書くか、下で受󠄁ける方の假名に書くかと云ふことを極めて置きさへすれば、其位な規定を書方に設けたならば、之を認󠄁めて置いて一向差支ない。類音󠄁の「いひかけ」が新に修辭上に出來たと思へば何の差支もありませぬ。それから定家假名遣󠄁と云ふものは、之は少數者の用ゐたものであると云ふことになつて居ります。是には多少異義を挾み得るかも知れませぬ。北朝󠄁の文和、北朝󠄁の年號に文和と云ふのがあります。十四世紀の頃、彼の文和の頃に權少僧都成󠄁俊が萬葉集の奧書をしました。それに「天下大底守彼式、而異之族一人而無之」、「彼式」と云ふのは定家假名遣󠄁であります。一人も之れに從はぬ者は無いと云つて居りますけれども、倂し此の天下と云ふのは詰り敎育のある或る社會を指したのでありませうから、成󠄁程󠄁定家假名遣󠄁を國民全󠄁體が用ゐたと云ふことにはなるまい。是れは多分少數でありましたでせう。

 それから古學者の假名遣󠄁が出て來ます。前󠄁に申しました成󠄁俊の萬葉集の奧書などを見ますると云ふと、既に假名遣󠄁の復古を企つて居ります。自分の古い假名遣󠄁を使ふのを「僻案」だと云つて謙󠄁遜してゐるけれども、兎に角古い假名遣󠄁に由つて假名を施した。それに次󠄁いで契冲の「和字正濫抄」、これは元祿六年の序があります、十七世紀の頃であります。是等が先づ復古の初りでありまして、其後のの歷史は私が此處で述󠄁べる必要󠄁はありませぬ。芳賀博士は之をRenaissanceだと云はれました。成󠄁程󠄁適󠄁當のことと思ひます。丁度西洋の復古運󠄁動と同じ性質を有つて居るやうに思ふ。此の復古の假名遣󠄁は勿論發音󠄁的󠄁に改正したのではありませぬ。若し定家の假名遣󠄁が國語の變遷󠄁であつたならばそれを元へ戾さうとする此の復古運󠄁動と云ふものは、非常な不道󠄁理なものに違󠄂ひない。倂し前󠄁に申します通󠄁り定家假名遣󠄁と云ふものは一時の流行病であつたから、それを治療しようと思つて和學者が起󠄁つたのだらうと私は思ふ。尙ほ進󠄁んで考へますると云ふと、發音󠄁的󠄁の側から見ると、定家假名遣󠄁よりか、復古の假名遣󠄁の方が餘程󠄁發音󠄁的󠄁なやうに認󠄁められます。此の古學者の假名遣󠄁も、勿論諸君のお認󠄁めになつて居るやうに少數者の用にしかならないのであります。そんなら其の他の一般の人民はどうして居つたかと云ふと、或は定家の式に從つたと認󠄁める人もありませう。或は何にも據らずに亂雜に書いたと云ふことも認󠄁められませうと思ひます。斯う云ふ統計は殆ど不可能であります。

 無論定家の假名遣󠄁で書くと云ふ人は物語類でも讀むとか、北村季吟などが作つた「湖月󠄁抄」とか、ああ云ふ物でも讀んで居る人の上であつて、其外は矢張亂雜でありませう。又漢學の方に主󠄁もに力を入れる人は假名遣󠄁などは構󠄁はぬと云つて亂雜に安んじて居つたのでありませう。倂し是等が多數のものに行はれないと云ふのは敎育の方向、若は其の普及󠄁󠄁の程󠄁度に依つて定まるのではないかと思はれるのであります。そこで假名遣󠄁を排斥すると云ふことは極く最近󠄁に起󠄁つて參りました。斯う云ふ運󠄁動にも例の陳勝󠄁吳廣のやうなものが早く前󠄁からあるのであります。既に南朝󠄁の藤󠄁原長親卽ち明󠄁魏法師も假名は心の儘に書けと云ふことを云つて居ります。それから極く近󠄁くなりますと、澤山さう云ふ例があります。漢學者の帆足萬里先生、彼の人は嘉永五年に歿しました。彼の人の「假字考」と云ふものに斯う云ふことが書いてあります。「今の世の假名遣󠄁と云ふものは正理あるものにあらず、久しく用ゐなれぬれば、強て破らんも好からぬ業なるべし、其の掟にたがひたりとてあながちに病むべからず」これは許容說の元祖とも言へませう。それから井上文雄と云ふ先生があります。明󠄁治四年に歿しましたが、此の人の「假字一新」と云ふ本があります。

 是れも假名は心の儘に書けと云ふのであつて、復古の假名遣󠄁を排斥しまして、却つて定家の方に荷擔して居ります。それから井上毅先生の字音󠄁假名遣󠄁のこと、是れは當局が此席でも御引用になつて居る。斯う云ふやうな沿󠄂革を經て來て、さうして今日の假名遣󠄁改正の問題が出て參りまして、頗る堅牢な性質の運󠄁動になつて來たやうに思ひます。先づ斯う云ふ沿󠄂革だと自分は思つて居ります。

 是れから少しく自分の意󠄁見を述󠄁べようと思ひます。最も私が感嘆して聞きましたのは大槻博士の御演說でありました。引證の廣いことは固より、總て御論の熱心なる所󠄁、丁度彼の伊太利のRenaissance時代のSavonarolaの說敎でも聽いたやうな感がしました。私は尊󠄁敬して聽きました。倂し其の御說には同意󠄁はしませぬ。少數者の用ゐるものは餘り論ずるに足らない、多數の人民に使はれるものでなければならぬと云ふのが御論の土臺になつて居ります。倂し何事でもさう云ふ風に觀察すると云ふと、恐󠄁くは偏󠄁頗になりはすまいかと思ふのであります。政治で言つて見ても多數に依ればDemokratie少數ならばAristokratieと云ふ者が出て來ます。此の頃の思想界に於て多數の方から、多數の方に偏󠄁して考へますると云ふと、社會說などもそれであります。それから之れに反動して極く少數のものを根據にして主󠄁張するNietzscheの議論などもある。

 之れに據ると多數人民と云ふものは芥溜の肥料のやうなものである、其中に少數の役に立つものが、丁度美麗な草木が出て來て花󠄁が咲󠄁くやうに、出て來ると云ふ樣な想像を有つて居る。少くも此の假名遣󠄁を少數者の用に供するものだと云ふ側から之れを排斥しますれば、其の反對の側に立ちますると云ふと、斯う云ふ風に言へるかと思ひます。一體古來假名遣󠄁と云ふものは少數のものであつたかも知れぬ。又近󠄁世復古運󠄁動が起󠄁りましても、此波動は餘り廣くは世間に及󠄁󠄁んで居ないに違󠄂ひない。倂し契冲以來の諸先生が出て來られて假名遣󠄁を確定しようとせられた運󠄁動に、之れに應ずるものは國民中の少數ではあるけれども、國民中の精華であるとも云はれる。斯う云ふ意󠄁見を推擴めて人民の共有に之をしたいと斯う云ふやうな議論が隨分反對の側からは立ち得ると自分は信じます。兎に角多數者の用ゐる者に限つて承認󠄁すると云ふ論には同意󠄁しませぬ。次󠄁に當局始め諸君は假名遣󠄁の有無を論ずると共に、假名遣󠄁に正とか邪とか云ふことはないと仰つしやつたやうに聽きました。渡部主󠄁事の御說明󠄁は私は初めの日に遲れて出まして半󠄁分しか聽きませぬけれども、大變精密な說明󠄁でありまして、其の中には自分が斯う言つたらば他の人が斯う言ふだらうが、それは斯うであると云ふやうに、先潛りまでせられまして有ゆる方面の防禦をして居られます。

 恰も其の老吏獄を斷ずると云ふ樣な工合、或はSophistの論とでも云ふ樣な工合に、大變巧みに出來て居りまして、御苦心の程󠄁を察するのであります。是れも十分の尊󠄁敬を拂つて聽きましたけれども、是れも同意󠄁は出來ないのであります。一體正邪と云ふことを說きまするは甚だ聽苦しいことでありまして、所󠄁謂芳賀博士の言はれた愛國說などにも關係を有つて來る。一體道󠄁義のことなどを口にすることは聽苦しい。口で忠義立をする程󠄁卑しいことはありませぬ。哲學者のTheodor Vischerが云ひましたことにdas Moralische versteht sich von selbstと云ふことがある。道󠄁義上のことは言を俟たない。これを口癖にVischerは言つて居ました。そんなことを言ふのは一體要󠄁らないことである。倂し國運󠄁の消󠄁長が言語に關係を有ち又言語の精華たる文語に關係を有つて居る、隨つて假名遣󠄁にも關係を有つて居ることは明󠄁白であります。獨逸のごときは新假名遣󠄁の運󠄁動が盛󠄁んに起󠄁りまして學校等で隨分廣く用ゐるやうになりましたけれども、Bismarckの生涯、公文書にだけはつひつひ新假名遣󠄁を排斥し通󠄁した。あゝ云ふ豪傑でありますから何か深い考があつたかも知れませぬ。當局の御說明󠄁に倫理には正とか邪とか云ふことがあるけれども、假名遣󠄁にそんなことは無いと云ふやうなこともありました。けれども倫理だつても矢張變遷󠄁は始終󠄁あるもので、吾々が仇討とか腹切とか云ふことに對してどう云ふ倫理上の判󠄁斷を有つて居つたかと云ふことは、今日と前󠄁と較べれば大變な違󠄂であります。

 倫理に於てどんなAuthorityをも認󠄁めないとなりますると云ふと、終󠄁には善惡の標準がないと云ふやうな騷ぎになります。私も假名遣󠄁に絕對的󠄁に正と邪があるとは云ひませぬ。倂し前󠄁にも申します通󠄁り口語こそ變遷󠄁を致しますけれども、文語に變遷󠄁と云ふことはないのであります。衰替現象で變つて來るのでありますからして、口語の變遷󠄁を何時も見て居て、其中固つた所󠄁を拾ひ上げては假名遣󠄁を訂して行くと云ふ樣なことならば、漸を以てしても宜しからうと思ひますけれども、其の文語に定つて居るものは正として、之を法則として立つて置いて宜しいかと思ふのであります。芳賀博士もこの正邪に就いて御論がありまして、河の流の比喩をお引きになりました。河の流が今日流れて居る處は昔から流れて居る處では無い、必ず河流の方向は變つて居るだらう、さう云ふ變遷󠄁の如く此の假名遣󠄁のことも考へねばならぬと云ふやうに言はれました。丁度Muellerの書いたものに矢張同じやうな譬があります。言語を河に譬へてあります。言語は流水の如きものであつて必ず變遷󠄁する、そこで之を文語として固めてしまふと云ふと、池水のやうになつて腐る、それが腐つてしまふと云ふと、初め排斥せられた方言が何處かに殘つて居つて、下行水と云ふやうな風に、何處かに殘つて居つて、そのものが何時か頭を持上げて革命的󠄁に新しい文語が起󠄁つて來る。

 かう云ふ譬へを引いて居ります。故に此の池水のやうに文語が腐らないやうに假名遣󠄁を訂すのは必要󠄁でありますけれども、一旦文語となつたものは是れは法則である、正しいものであると云ふことを認󠄁めて宜しいかと思ひます。Muellerは同じ工合に又他の譬を使つて居ります。土耳古王は子供の時に遊󠄁友達󠄁があると云ふと、自分が位に卽くと友達󠄁を絞殺してしまふ、自分が一人で權を握る。倂し言葉は或る方言が勢力を得て文語になつても、同時に其の附近󠄁に行はれて居つた方言が皆殺されてはしまはない、何處かに活きて居る、活きて居つてそれ等がいつか革命運󠄁動を起󠄁す。斯う云ふ風に言語のことを觀察するが宜しいと、斯う言つて居ります。兎に角土耳古の王が王になれば、それが一つの正統な王である。今のやうに腐敗して來て革命的󠄁なことが出て來ると云ふことを防ぐには、新しい貴族を作れば好い、新華族を作るやうにして、ぽつぽつ腐らないやうにして行けば宜しいかと思ふ。口語の廣く用ゐられて來るやうなものを見ては之れをぽつぽつ引上げて假名遣󠄁に入れる。さう云ふやうに楫を取つて行くのが一番好い手段ではあるまいかと思ふのであります。私は正則と云ふこと、正しいと云ふことを認󠄁めて置きたいのであります。

 ところが古い假名遣󠄁は頗る輕ぜられて、一體にAuthoritiesたる契冲以下を輕視すると云ふやうな傾向がございますが、少數者がして居ることは詰らぬと云ひますと云ふとどうでせう。一體倫理などでも忠孝節義などを本當に行つて居るものは何時も少數者である。それが模範になつてそれを廣く推及󠄁󠄁ぼして國民の共有にするのであります。少數者のして居ることにもう少し重きを措くのが宜しいかと思ふ。古學者などのAuthorityはさう云ふ風に排斥せられると同時に、單に井上毅先生の字音󠄁假名遣󠄁說は殆ど金科玉條として立てられるやうでございますが、あれも餘りさう其の結構󠄁な御論ではないかと思ふのであります。一體漢字を假名に書くのは「易きに由る」のだと云ふのが井上毅先生の議論であります。倂し假名に書くのは易きに由ると云ふのを本にすべきではあるまいかと思ひます。何處の國でも國語の中に外國の語が入つて來て國語のやうになる。そこで日本では漢語が國語になる。其の道󠄁中の宿場の樣になつて、假名で書いたものが行はれるのであります。中に全󠄁然國語になつたのもある。誰も知つて居る文の「ふみ」、錢の「ぜに」の類である。中には消󠄁息「せうそこ」などと云つて、是れも殆んど假名で通󠄁用する國語のやうになつて居る。

 さう云ふ字は假名遣󠄁を廢して「しようそこ」と書いては分かりにくいことになつてしまひます。其の外井上先生の今の支那󠄁音󠄁に引當てての御論と云ふものも餘り正確なものではないかと思ふ。要󠄁するに正だとか邪だとか云ふことが絕對的󠄁に假名遣󠄁にあるとは申しませぬけれども、幾分か正しい側と云ふことがあるだらうと思ひます。西洋語のOrthographieのorthosは正と云ふことであります。正しく書く法をOrthographieと云ふ。詞などと云ふやうなものも人の思想を表出するものであるから、正しいと云ふ詞を用ゐるのであります。正しいと云事は云へると思ふ。それからこの正と邪との關係と云ふことに連係しまして街道󠄁の譬と云ふものが頻りに本會に於て行はれて居る。昔の假名遣󠄁は舊街道󠄁である。其處へ持つて行つて發音󠄁的󠄁の新しい假名遣󠄁が作られる、是れは便利なる橫道󠄁である、何も舊い街道󠄁を正道󠄁として便利な新しい假名遣󠄁を邪道󠄁とすることはないと云ふのであります。此の話は少しく自分の見る所󠄁では事實に違󠄂つて居る樣であります。決してさう云ふ便利な新しい道󠄁が出來て居らないのであります。例之ば「つくゑ」と云ふ詞を見ましても、此wの子音󠄁に當る「う」と云ふ音󠄁、是が響かないのであります。其の響かないのを發音󠄁的󠄁に書くならば、誰が書いても「つくえ」と阿行の「え」を書いて居る筈であります。

 それならば新しい道󠄁が出來て居る譯で、それを認󠄁めてやつても宜しい譯であります。倂し實際人の書いたのを見ましても、机の「ゑ」は阿行の「え」を書いたり、和行の「ゑ」を書いたり、波行の「へ」を書いたり、有ゆる假名を使つて居ります。さうして見ると人民一般は田とも云はず畠とも云はず、道󠄁のない所󠄁を縱橫に步いて居るのであります。實に亂雜極つて居る、むちやであります。そこで若し文部省に於て新しく發音󠄁的󠄁に訂して行きまして、阿行の「え」を書けと云ふ新道󠄁を開きますと云ふと、さうすると今度は道󠄁が二條出來ます。人民は又二條のどれにも由らずに縱橫に田畠を荒󠄁して步くかも知れないと思ふ。却つて問題は複雜になつて來る。さう云ふ關係は獨り此の假名遣󠄁のみではありませぬ。文法弖爾乎波にもございます。例之ば文部省で許容になつて居ります「得せしむ」と云ふ弖爾乎波がある。あれは「得しむ」と云ふ詞である。倂し口語では決して「得しむ」も「得せしむ」もない。口語では「得させる」斯う云つて居る。「得さす」と云ふ詞になつて居る。だから口語の變遷󠄁卽ち言語變遷󠄁には何の關係も無くして「得せしむ」と云ふ詞が生じて來た。何故生じて來たかと云ふと、是れは言語の變遷󠄁ではない、是れは文盲󠄁から生じ來たのである。「得しむ」といふ詞を知らない人が「得せしむ」と云ふ詞を書いた。例の惡口の歌に「伊勢をかし江戶ものからに京きこえししとせしとは天下通󠄁用」と云ふ間違󠄂をひやかした歌があります。丁度ああ云ふ譯で一時流行して來たのであります。

 斯う云ふことは又弖爾乎波ばかりでは無い、漢字にもあります。私は勿論何にも知らない、漢字も知りませぬ。倂し模糊などと云ふ語はどの新聞を見ても「も」の字が米へんになつて居りますが、あれなどは木へんだと云ふことであります。斯う云ふのを一々變遷󠄁だと認󠄁めて來ると今度は新しい漢字までも拵へなければならぬことになつて來ようかと思ひます。兎に角私は今便利な新道󠄁が出來て居ると認󠄁めるのは觀察を誤󠄁つて居るのではないかと思ふ。それから街道󠄁の比喩に對して芳賀博士は又別な比喩を出されました。舊い街道󠄁は是れは街道󠄁ではない、廢道󠄁になつてしまつて居るのである。荊棘が一杯生えて居つて、それを古學者連が刈除いて道󠄁にしようと思つたけれども、人民は從つて行かない。斯う云ふやうな比喩を出されました。私共の立場から見ると云ふと、此の假名遣󠄁は昔も或は國民の皆が行つた道󠄁ではない、初めも或る少數者の行つた道󠄁であらう。それが段々に大きい道󠄁になつて來たのである。縱令中頃定家假名遣󠄁が出まして、一頓󠄁挫を來しましても少し荊棘が生えましても、荊棘を刈除いて、元との道󠄁を擴げて、國民が皆步むやうな道󠄁にすると云ふことが、或は出來るものではないかと云ふやうな、妄󠄁想かもしれませぬけれども、想像を自分は有つて居ります。何處の國でも言語の問題に付いては、國語を淨めようと云ふことを一の條件にして調󠄁査をするのであります。

 其の國語を淨めると云ふ側から行きますと云ふと、此の假名遣󠄁の道󠄁を興すのが一番宜しいかと思ふ。元の假名遣󠄁を興して、其の中へ新しい假名も採󠄁用する。それには先づ舊街道󠄁の荊棘を除いて人の善く步けるやうにしてやります。そこへ持つて行つて文明󠄁式のMacadam式の築󠄁造󠄁をしようともAsphaltを布かうとも、何れでも宜しいと云ふ考へであります。

 それから街道󠄁の比喩と共に、許容と云ふことが先頃から問題になつて居ります。此の許容と云ふのはToleranceだと云ふ說明󠄁を聽きました。例之ば國で定つた宗敎がありまして、人民が外の宗敎を信じてもそれを許容する。それがToleranceである。Toleranceと云ふことを使はれる場合は多くは何か正則なものが先きへ認󠄁めてある。正則のものがなくてToleranceと云ふことはありませぬ。彼の弖爾乎波の許容になりましたときなどは、まだ元の語格を正則にしてある。それに背いて居る弖爾乎波を許容する。斯うなつて居ります。「得しむ」は正則である、「得せしむ」は許容すると云ふのでありますから、趣意󠄁は能く分つて居ります。此の比例が假名遣󠄁になつてから狂つて來ました。元の假名遣󠄁を正則にして發音󠄁的󠄁に新に作る假名遣󠄁を許容するなら宜しい。然るに發音󠄁的󠄁に新造󠄁する分の假名遣󠄁を正則にして、敎科書に用ゐるのでありますと、それは許容ではない。

 之に就いては度々諸方から議論がありました。少し野卑なことを申しまするけれども、此度の假名遣󠄁に於けるところの許容と云ふことは、稍々とんちんかんだと思ふのであります。此の許容に就きまして、どうも私共の見る所󠄁では、世間に便利な道󠄁が出來て居るから許容すると云ふ、其の便利な道󠄁が出來てゐると云ふ御認󠄁定が、稍々大早計である。早過󠄁ぎる場合が多いやうに思ふのであります。例之ば「得せしむ」と人が書いたところが、それを直に採󠄁上げて是れが言語の變遷󠄁であると云つて、是れが便利な新道󠄁であると云つて、御認󠄁めになつて御許容になる。そんな必要󠄁はないかと思ひます。文盲󠄁の人があつて「得しむ」と云ふ語を知らないで「得せしむ」と書く。決して「得しむ」が不便だから「得せしむ」にしようと云つて書くのではないのであります。さうすると新聞や小說でもさう書く。それが媒介になつて次󠄁第に擴がる。是れも古びが着いて一つの歷史的󠄁のものになれば、誤󠄁謬から生じた詞でも認󠄁めんければならぬのでありますけれども、それを急󠄁いで認󠄁めることはどうも宜しくないかと思ひます。例之ば氣の狂つた人があつて道󠄁もない所󠄁を奔り、衆人が附いて行く。直ちにそれを是れが道󠄁だと云つて、大勢が附いて行くから道󠄁だと云つて直ちにそれを道󠄁にすると云ふのは、少し其の仕事が面白くないかと思ふ。

 間違󠄂を人のするのを跡を追󠄁駈けて步いて居るやうに、吾々の立場から見ると見えるのであります。斯う云ふ工合で行きますと、例の漢字の間違󠄂なども、どうかすると流行つて來る。其の跡を追󠄁駈けると云ふと、新しく噓の漢字の辭書を作らんければならぬ。噓字盡を作ることになりはせぬかと思ひます。何處の國でも國語のことを調󠄁べるときには、國語を淨めると云ふことを運󠄁動の土臺にして居ります。それに反して斯う云ふ風な仕事をしまするのは國語を濁すのであります。勿論初め誤󠄁から生じましても、前󠄁に申しまする通󠄁り、時代を經て古びが着いて自然に新しい國語のやうになつたと云ふ場合には、無論それを取るべきであります。丁度華族のお仲間に新華族が出來て來るやうな譯であります。それは國語の歷史にも先例がある。例之ば「あらたし」と云ふ語がある。是れが「あたらし」となる。斯う云ふのは是れは口語の變遷󠄁に基いて新しい語を認󠄁めたのであります。それから同じ許容になつて居る弖爾乎波の中でも「せさす」を「さす」にするやうなことは、是れは口語の方で久しく一般に行はれて居る。斯う云ふのは是れは認󠄁めて宜しい。それから種々の漢語の字音󠄁に就きまして、間違󠄂の例が今までも引かれて居りますが、例之ば畜生と云ふのは本當は「きうしやう」だと申します。さう云ふのは「ちくしやう」と云ふ國語と認󠄁めて宜しい。

 新しい語で言ひましても、輸󠄁出を「ゆしゆつ」と云ふ。此の位に固まつて來れば國語と認󠄁めるのに異義は無いのであります。倂し餘り早まつて認󠄁定をしないで、少しづヽ徐々に認󠄁定をするのが至當な方法であらうと思ふのであります。さう云ふやうに私は少數の人が用ゐて居つても、其の少數の人が國民の精華とも云ふべき人であるならば、其の用ゐて居るものを廣く國民に及󠄁󠄁ぼすと云ふことを圖りたいと云ふ考であります。

 此考に付いて最も芳賀博士などの御說とは衝突を來たすのであります。芳賀博士は必要󠄁不必要󠄁と云ふことを論ぜられます。多數の用ゐて居らぬものを多數に強付ける必要󠄁はないと云ふのであります。さう云ふことをする權能は文部大臣にあるかどうか疑はしいと、斯う云はれるのであります。芳賀博士の總ての御議論は實に達󠄁識な御議論であつて、感服󠄁して居ります。倂し此の必要󠄁不必要󠄁の論、文部大臣にさう云ふ權能がありや否やと云ふ御論には、少し私は同意󠄁が出來ないのであります。言語の變遷󠄁は口語の上にあります。それは自然に行はれて行く。文語の方になりますと云ふと、是れは人工の加つたものである。假名遣󠄁も同樣である。倂し文語になつてから初めて言語は完全󠄁になる。言語が思想を十分に表はすと云ふことが初めて文語になつてから完全󠄁になる。

 假名遣󠄁は其の文語の方の法則である。若し我が邦の假名遣󠄁が廣く人民間に行はれて居なかつたならば、それは敎育が遍󠄁く行はれて居らぬ爲めであらうと思ふのであります。そこで丁度昔初めて假名が出來たときに、それを使ふことを當時の政府が人民一般に施し得た如く、今日の文部大臣が假名遣󠄁を一般に敎へられると云ふことは正當なる權利と思ふ。權利ではない、義務である。敎へなければならぬのであると思ふ。之に反して文部大臣を始め敎育の任に當つて居るものは、間違󠄂つたことを、正則に背いたことをしてはならぬかと思ふ。昔の話に羅馬のTiberius帝󠄁が或る時話をして語格を間違󠄂へた。さうすると傍に聽いて居たMarcellusと云ふ人が、今のは違󠄂つて居ると批難して云つた。さうするとCapitoと云ふ人が聽いて居つて、帝󠄁王の口から出た言葉は立派な拉甸語であると斯う云ひました。さうするとMarcellusの云ふには、成󠄁程󠄁帝󠄁王は人民に羅馬の公民權を與へることは出來よう、倂し新しい言語を作ることは出來ない。斯う云つたと云ふ。正則に反いたことをすると云ふ權能は帝󠄁王と雖どもない。之が必要󠄁不必要󠄁の論であります。

 倂しながら必要󠄁不必要󠄁の論の外にもう一つ論があります。假名遣󠄁を國民一般に行はうと云ふことは不可能であると云ふ論があります。

 此の方の側は大槻博士の御論の中にありました。其の中の最も有力なる論據として仰しやるには、斯うして委員が大勢居るけれども委員の中で一人でも假名遣󠄁を間違󠄂へないものはないと云ふのでありました。實に其の通󠄁りでありまして、自分なども始終󠄁間違󠄂へますけれども、間違󠄂つて居ても、間違󠄂つたことは人に聽いて訂して行かう、子供にでも間違󠄂つて居ないことを敎へてやつて、少しでも正則の方に向けようと云ふことを考へて居るのであります。當局に於ては不可能とまでは申されませぬけれども、困難だと云ふことは申されてあります。是れは一般にさう云つて居ります。困難となれば程󠄁度問題であつて、不可能ではないのであります。現に當局に於ては假名遣󠄁にも人の意󠄁識に入つて居る部分と意󠄁識に入つて居ない部分とがあると云ふことを言つて居られる。其の意󠄁識に入つて居る部分はいたはつて存して置いて、意󠄁識に入つて居ないものを直すと、斯う云ふ御論であります。倂し或るものは意󠄁識に入つて居ると云ふことを認󠄁めると云ふと、未だ意󠄁識に入つて居らない部分も或は仕方に依つては意󠄁識に入り得るものではあるまいかと思ふ。扨古學者が假名のことをやかましく論じて居るのに、例之ば本居の遠󠄁鏡の如き、口語で書く段になると、決して假名遣󠄁を應用して居らぬと云ふことを、假名遣󠄁を一般に普通󠄁語に用ゐるのは不可能である、或は困難であると云ふ證據に引かれますけれども、是れは少し性質が違󠄂ふかと思ふ。

 古學者達󠄁は文語と云ふものは貴族的󠄁なもののやうに考へて居りますから、そこで貴族の階級󠄁󠄁を極く嚴重に考へまして、例之ば印度の四姓か何かのやうに考へまして、ずつと下に居る首陀羅とか言ふやうな下等な人民は、是れは論外だ、斯う云ふ風に見て居りますから、所󠄁謂俗言と云ふものを卑しんだ爲めに、俗言のときは無茶なことをしたのであります。若し假名遣󠄁を俗言に應用する意󠄁があつたならば、所󠄁謂俗言を稍々重く視たならば、あんなことはしなかつたらうと思ふのであります。それでありますから、芳賀博士が、若し本居先生などが今在つたならば決して假名遣󠄁を國民に布くなどと云ふことは云はれないだらうと云はれるのは、同意󠄁が出來かねます。本居先生が今在つたならば、必ずや國民に假名遣󠄁を敎へようとしただらうと思ひます。本居先生のみならず堀秀成󠄁先生の如きも、是れは死なれてから間もありませぬけれども、若し今日居られたら矢張假名遣󠄁を國民に行はうとしたであらうと思ふ。明󠄁治の初年に文部省では假名遣󠄁を小學校に使用しました。此の結果に就いても私は見方を異にして居る。たしか江原君でありましたか、存外此の假名遣󠄁は兒童に歡迎󠄁せられたと云ふことを言はれました。私もその時はまだ半󠄁分子供でありましたが、確に歡迎󠄁したのであります。

 若し彼の時の文部省の方針が確定して動かずに今日まで繼續せられて居つたならば、或は餘程󠄁人民に廣く假名遣󠄁が行はれて居りはすまいかと思ふ。稍々上の學校、中學以上になつて假名遣󠄁を誤󠄁る例を頻りに擧げられて、それを以て困難若しくは不可能の證明󠄁にしようとせられますけれども、是れは周󠄀圍に誤󠄁が多い、新聞紙を讀んでも小說を讀んでも、皆亂雜な假名遣󠄁である、目に觸れるものが皆間違󠄂つて居るのでありますから、縱令學校だけでどう敎へても誤󠄁まるのであります。倂し明󠄁治初年から今日まで若し假名遣󠄁を正しく敎へることを努力せられたのであるならば、餘程󠄁新聞記者や小說家にも假名遣󠄁を知つて居る者が今日は殖えて居まして、新聞や小說が正しい假名を多く書くやうになつて居はすまいかと思ひます。さうしたならば中學以上の人などはそんなに間違󠄂へずに書きはすまいかと思ふのであります。

 それから、然らば假名遣󠄁を若し國民に敎へようとするならば、どうしたらば好いかと云ふ其の方法手段であります。

 是れはたしか黑澤翁󠄁麿󠄁あたりの工夫でありませうか、少數のむつかしい假名から敎へて行くと云ふと、後との容易しいのは自然に分かると云ふ方法があります。今日でも假名遣󠄁を敎へる人は大抵さう云ふ手段を執るやうであります。一種の記憶法のやうなものであります。斯う云ふ記憶法でありますが、是れなどを猶󠄁硏究したならば、敎へる方法は今日よりも一層完全󠄁に出來得るかと思ふのであります。假名遣󠄁の困難と云ふことに就いては主󠄁として字音󠄁假名遣󠄁のことが擧げられてあります。此の字音󠄁のことは洵に困難な問題でありまして、古い所󠄁の、古いと云つても是れは十八世紀でありまするが、僧文雄の「磨󠄁光韻鏡」から以來、本居の「漢字三音󠄁考」と「字音󠄁假名遣󠄁」、文政中の太田全󠄁齋の「漢吳音󠄁圖」、現存して居られる木村正辭先生の「漢吳音󠄁圖正誤󠄁」、先づ斯う云ふやうな系統で、字音󠄁の硏究がしてある。大槻先生の仰しやつた通󠄁りに實に是れは頭痛のするやうな本であります。詩を作つたことの無い者などには所󠄁詮覺えられぬと云ふ御論は尤もに聽きました。倂しながら是れも其の極く困難な部分は殆ど大槻博士の御演說の中に網󠄁羅してあつたやうに思ふ。兎に角一場の御演說で困難な部分は網󠄁羅し得られるのでありまして、其の外は割󠄀合に容易しいのであります。

 此の字音󠄁の假名遣󠄁に對する、之れに處する道󠄁を考へまするには、漢語がどの位日本化󠄁して居るかと云ふ程󠄁度を硏究する必要󠄁があります。先刻申します通󠄁り全󠄁く字音󠄁が國語に化󠄁して居るのがある。それからそれに亞ぎまして、「文」「錢」の外に、ああ云ふ類の之に準ずべきものがあります。例之ば「天地」と云ふことは「あめつち」よりか「てんち」の方が行はれて居る。是位に日本化󠄁すれば是れは國語と見なければならぬ。それに反して所󠄁謂漢字に隱れて居る字音󠄁と云ひまするものは、日本化󠄁した程󠄁度の極く低いものである。字音󠄁に隱れて居るから之れを改めることは容易だと云つてありまするけれども、字音󠄁に隱れて居る程󠄁ならば改めないでも宜しいかも知れないと云ふ一方には理由が立ちます。そこでさう云ふ日本化󠄁して居る程󠄁度の低いものは除いて、十分日本化󠄁して居るものを小學等に敎へると云ふことになりますると云ふと、字數が自然に限られることになる。其の少數の字數ならば字音󠄁假名遣󠄁と雖ども敎へられるかと思ふのです。そんなら久しく音󠄁の訛つて居るものはどうするか。例之ば今の「輸󠄁出」が「ゆしゆつ」になつて居ると云ふやうなことであります。斯う云ふのは「ゆしゆつ」と云ふ新國語と認󠄁めます。是れは音󠄁でない、訓だと思へば宜しいのであります。是れは字音󠄁としての取扱󠄁を停止すれば宜しいのであります。

 然らば未だ字音󠄁の考へられて居らぬものはどうするか。大槻先生は烏帽子の「烏」は「え」であるか「ゑ」であるかと云ふ疑をお引きになりました。斯う云ふことこそ國語調󠄁査會と云ふやうな所󠄁で定案を作つて、兎に角一つの案を作つてそれを公認󠄁せられることが必要󠄁であるかと思ふのであります。  倂し困難は獨り字音󠄁ばかりではない。國語の假名遣󠄁にもあります。此の場合では殊に少數のむつかしい假名から敎へると云ふ手段を硏究して、その方法をもう少し完全󠄁に作れば、假名遣󠄁を廣く敎へることが出來ようかと思ひます。諮󠄁詢案では「動詞の活用から出て居る假名」と云ふものだけを保存することになつて居りまするが、其の御趣意󠄁は至極結構󠄁な御趣意󠄁と思ひます。倂し實際の案に表はれて居るところは、どうも用意󠄁周󠄀到でないやうに思ふのであります。例之ば和行の假名を以て言つて見ますると、「居る」と云ふ語は假名遣󠄁を存して置く。是れが名詞になつて、例之ば坐に居る「位」、「圓居」、「芝居」と云ふ假名になると阿行の「い」になるやうに思はれる。又「据う」と云ふ詞でも「すう」と云ふ假名遣󠄁が存してある。「つきすゑ」の「つくゑ」、又「いしずゑ」の「ゑ」になると、是れは阿行になつてしまふ。

 斯う云ふことがあつて見ると云ふと、どうも境界がはつきりしないやうに思ひます。どうもこの案はまだ十分熟して居るまいかと思ひます。敎育團とか云ふものの意󠄁見と云ふのが、此の頃新聞に出て居りますが、大いに參考すべきことがあるやうに見受󠄁けます。大體の論は私は取りませぬけれども、此の諮󠄁詢案に對する敎育團の意󠄁見と云ふものには宜しいところがあるかと思ひます。又國語の假名遣󠄁で未だ考へてないもの、例之ば「くぢら」か「くじら」か、「たはら」か「たわら」かと云ふやうなこと、是れも先刻の字音󠄁と同じく、斯う云ふことこそ國語調󠄁査會などで硏究せられて其の結果を公認󠄁せられたら宜しいかと思ひます。兎に角字音󠄁にも國語にも假名遣󠄁に困難はありますけれども、凌ぐべからざる程󠄁の困難はないやうに思ひます。

 そこで自分の意󠄁見をなほ約󠄁めて申しますれば、次󠄁の通󠄁りであります。第一に假名遣󠄁は成󠄁程󠄁性質上から保守的󠄁なものである。倂しながら發音󠄁的󠄁の側から見ても大なる不都合があるものとは認󠄁めない。

 夫故に敎科書などでは矢張假名遣󠄁の正則として之を用ゐられたいと云ふ、此點は陸軍省も一般に其の意󠄁見であります。第二は假名遣󠄁は發音󠄁的󠄁に改めると云ふことを爲し得るものである。政府は極く愼重に調󠄁査して漸を以て改められるが宜しい。其の時には國語を淨めると云ふことを顧󠄁慮して、徐々に直されたい。斯う云ふのであります。それから次󠄁に第三に、此の假名遣󠄁を直すに先立つて、國語にも字音󠄁にも假名遣󠄁の未定問題があるから、さう云ふことは學者の團體にでも命じて兎に角定めさせて、それを公認󠄁せられたい。斯う云ふのであります。そこで此の諮󠄁詢案と云ふものはどうも未だ熟して居らぬやうに思ふ。なほ附け加へて申したい意󠄁見があります。どうか政府に於ては純粹に發音󠄁による國語の書き方と云ふことを、一層深く硏究せられて、丁度西洋で發音󠄁學者、Phonetikの學者がいろいろ硏究して居るやうに、國語を成󠄁るたけ完全󠄁に發音󠄁的󠄁に書くと云ふ方法を硏究せられたいと斯う思ふのであります。どうも唯今改正案になつて居る發音󠄁的󠄁の假名と云ふものは發音󠄁的󠄁でない所󠄁があるやうに思ふ。矢野君でありましたか、斯う言はれました、「かう」だの「こう」だの、「かふ」だの、「こふ」だのを「こう」と書く、それは矢張發音󠄁的󠄁に「こお」と「お」の字を書いた方が宜しいと云ふことを言はれましたが、御尤もと思ひます。

 古い催馬樂などに阿行の母音󠄁を後へ添󠄁へて書いたやうな例があるかと思ふ。是れなどは寧󠄀ろ發音󠄁的󠄁で書くと云ふ側からは「こう」と書かずに、阿行の「お」を使つて「こお」と書いた方が宜しいやうに思ひます。其の外發音󠄁の必要󠄁なる硏究の他の例を言ひますと、外國の語を書くときに英語で云ふ「あある」と「える」などは別々に表はされない。是れなども何か符號を以て表はすことが必要󠄁である。さうなればrとlの音󠄁を別々に表はすことが出來ると思ふ。さう云ふ發音󠄁的󠄁に國語を完全󠄁に書く法を十分硏究して置かれると云ふと、其中からどれだけのものを採󠄁つて假名遣󠄁に入れると云ふときの基礎にならうと思ふ。さう云ふ元帳を作つて置いて、それから靜に改正をしたいのであります。それからもう一つ申して置きたいのは、小學などの敎育に新しい發音󠄁假名を敎へると云ふことは是れは混雜の原因となる。それは敎なくても宜しいと云ふことであります。是非小學校の初めから假名遣󠄁は正しい假名遣󠄁を敎へるが好い。敎科書は正則の假名遣󠄁で書いてやりたい。そこで子供に自身で何か書かせる。書かせる段になると云ふと或は發音󠄁的󠄁に書くかも知れぬ。其の時に發音󠄁的󠄁に書いたのを誤󠄁としない、それを認󠄁めてやる。こんな時の敎員の參考には、今云つたやうな發音󠄁的󠄁の書き方の調󠄁査が出來て居つたならば、それを使用することが出來るだらう。發音󠄁的󠄁に書いたのを、それを誤󠄁には勘定しない、斯うして行きます。さうすると云ふと一向差支ない。是れが本當の許容である。是れなれば許容と云ふ詞は正當に用ゐられて居るのであります。そこで目に觸れるものは悉く本當の假名遣󠄁になつて來る。斯の如くにしたならば、段々小學校から中學校に行くに從つて假名遣󠄁を覺えるだらうと思ひます。大略斯う云ふ意󠄁見であります。

(明󠄁治四十一年六月󠄁)

「資󠄁料集」に戾る