「資󠄁料集」に戾る

柳田國男の手稿序文

『國語敎育の現狀』太田行藏著

 初版は昭和十六年のこの本に柳田國男が序文を書いてゐます。その原稿が偶々本會の書類の間から見つかりました。そのままでは勿體ないと、著作權繼承者の柳田冨美子さんにお返󠄁ししたいがと連絡をとつたところ、義父󠄁の手書き原稿はとても少ないのでと大變に喜ばれました。そして、本會のホウムペイジに畫像を載せることを承諾していただきました。太田行藏宛の葉書もあります。柳田國男の躍󠄁つてゐるやうな字をお樂しみください。

谷田貝常夫


    

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何をこの本は說いて居るか

 國語讀本の目的󠄁は、もう確定
して居るものと思って居ると、案外に
人々の考へのまち〳〵であるのに驚
く場合が多い。それを仔細に比較
論評󠄁して見るのも有意󠄁義かは知
らぬが、私などにはそれでは聞に合はぬ
といふ感ばかり深いのである。手短か
に話をきめる爲に、試みにこの讀
方敎育と、昔の我々の私塾などの素讀
とは、どこが違󠄂ふかといふことを考へ
て見る。素讀はたゞ語音󠄁の暗󠄁記
だけのやうに、思ってゐる人も有る
か知らぬが、それは初めの間だけ
の話で、何度もくり返󠄁して居るうち
には薄々は何が書いてあるかゞわかり、
註が讀めるか字書が引けるやうに
なれば、講󠄁釋をしてもらはずとも、
追󠄁々に全󠄁部を理解して行くのである。
又それ位の能力を具󠄁へた者だけが
此途󠄁には進󠄁んだので、少しで止めた
者には若干の字を識るといふ以上
に、格別の御蔭は無くとも是は致し
方がないとして居たのである。ところが
今日の讀本はそれとはちがって、之に
由って學ばねばならぬのは誰でも
である。しかも其三分の二以上は結
果に於て、是を其次󠄁の讀書の足
場とするのでも無く、又文章の御
手本とするのでもない。さういふ事ま
でが出來ればなほ結構󠄁といふのみで、
もっと大切な當面の入用が別に有
る。學校が子弟の主󠄁要󠄁な時間を
占領してしまはなかったら、家でなり
職場でなり、何としてゞも學び取
らなければならなかった日本の言
葉の知識が、今は殆どこの一筋
の流れから、注󠄁ぎ込󠄁まれることになっ
て居るのである。それがもし太田行
藏君の實驗したやうに、本に何が
書いてあったかはあら方知って居て
も、それを組立てゝ居る單語なり
句法なりが、少しも持場々々の役
を果して居ないといふ事實があり、
その事實が又、稀有の例外で無
かったとしたら、敎育は失敗であ
るのみか、國語讀本といふ名も不
當だといふこととなるだらう。
 斯樣な狀態がまだ省みられ
ずに居るのも、つまりは屁理屈の
多過󠄁ぎる爲かと思ふ。讀本は國
語の最も平󠄁易なる利用であるの
に對して、その利用を說く言葉
の何と面倒くさいことか。如何なる
必要󠄁から、誰も向って說いて居るのか
を、心に留めて居らぬらしいばかりか、
時々は御自分にもよくは判󠄁るまい
と思ふことを、たゞ分量多く竝べて
居る先生方も多い。昔の小學校で
の國語敎育が、有效で無かった
證據は先づ茲にも現はれて居る。
通󠄁例の日本人が日本語だといふ
ことを知らず、たま〳〵有ることだけ
は認󠄁めて居ても、それがはっきりと
何を指すのかも知らない單語を、
自分すら稍あやふやに使って居
ては、日本語は本當の仕事をす
る筈が無い。そんなことをするのは
むだでもあれば有害󠄂でもあるとい
ふことを、一度は何人にも敎へて置か
なければならぬ筈だが、それを今日
ではまだ何處でも、私が敎へて
居るといふ人は無いのである。國が
自ら國語讀本を出して居る以
上は、同時にそれが計畫通󠄁りに、
利用せられて居るかどうかを確かめ
る必要󠄁のあることは言ふまでも無い。
その必要󠄁なる手段は盡されて居
るものと、實は我々は皆、信じて居
たのである。然るに太田君が見て來ら
れた話の樣子では、どうやらそれ
が大分おぼつかないのである。この
本に列記してあるやうな澤山の
事實が、多くは思ひちがひであり
又は極端に惡い例ばかりだといふ
ことを、明󠄁示してもらはぬと父󠄁兄
は安眠が出來ない。有るかも知れ
ぬがそんなことは差支へ無いのだと、
言ってしまふことは到底許されぬ
やうに思ふ。
 少國民に對する國語敎育の
效果の、少なくとも今までよりは衰
へないやうにと、念じて居らぬ日本
人は一人も無い。それが信任し切
って居た當局者の手で、何だか少し
づゝ惡くして居るのでないかといふ
疑心が起󠄁り出して、ぢっとして居
られなくなったのは自然の話であ
る。私は前󠄁年來、何とかして素人
の側で、國語が實際に正しく敎
育せられて居るのかどうかを測定し
得るやうな、手輕な檢溫器見た
やうなものを、發明󠄁して見たいと思
って苦心して居る。それは容
易ではない企てかも知れぬが、たとへ大
がゝりな調󠄁査は出來ぬまでも、めい〳〵
が其氣になって注󠄁意󠄁して居れば、
一通󠄁りの成󠄁績は親々には檢し得
られる。現に又我々は色々な事實
に氣が付いて居るのである。利口な
子供ならば時々は變ったことを覺
えても來る。其代りには常の物いひが
いつまでも小さい兒と同じく、語彙
は極端に乏少であり、且つ表現
の句法は甚だしく數が足りない。
たま〳〵何か新らしいことを言はう
とすると、きっと片言がまじり、又
口眞似のあとが露はであって、果し
て心のうちを語って居るのかどうか
も確かでない。斯ういふいやな癖は
學校を出て、社會の人になって
からまでまだ持越して居る。氣にし始
めると際限もなく氣になるのだが、
それはたゞ漠然たる時々の感想の
集積といふまでゞ、今まで無頓󠄁着
で居た人の覺醒を促すには足
りない。それで何等かの萬人に成󠄁
る程󠄁と思はせるやうな、一つの簡單
明󠄁瞭なる方式が欲しかったので
ある。太田氏の方式といふのは、幾
分か念入りに過󠄁ぎ、誰でも時間を
掛けて之を試みるといふわけに
は行かぬが、たゞこの調󠄁査には證
據がある。其手續も亦十分に公
平󠄁なもので、我々に代って觀察して
くれたものとも見られるし、また別人が別
の折に、くり返󠄁して行って見ても、
結果は同じだらうとも推察し得ら
れる。もっと手輕な方案の見付か
るまでの間、煩はしけれども中
等學校の初學年などに携はる
人々が、その所󠄁謂優良兒童に就
て、大よそ之に近󠄁い實驗をする
風が、今一段と弘く行はれるのが
よいかと思ふ。さうしていよ〳〵根本の
國語敎育、卽ち最も多くの者が
最も力強く、國語の知識を攝
收しなければならぬ時期󠄁が、
些しでも有效に使はれて居なかっ
たことが明󠄁かになれば、之はたとへ
國家多事の時代であらうとも、
否さういふ時代であるだけに一層
激しく、改革を呼號しなければ
ならぬ必要󠄁が起󠄁るかと思ふ。
 この我々が憂へ虞󠄁れて居る病弊󠄁
は、勿論急󠄁いで原因の探求に取
掛るべきものである。各種遠󠄁近󠄁の
原因も複合してゐるだらうが、
其中には單にその一つを取除き、
又はその方向を更へることによって、
直ちに成󠄁績の上に好結果をもた
らすものも有り得るからである。太
田行藏君の意󠄁見では、讀方の
敎授󠄁に語法の說明󠄁の足らぬこと
が、全󠄁文の意󠄁味は掬み取り得て
も、言葉を理解し活用すること
の出來なくなって居る大きな原
因だといふのだが、それは自分も
確かに贊成󠄁である。國民學校
の語法敎授󠄁の貧弱󠄁であるのは、
氣の毒ともいふべき遠󠄁い原因が有る。
そんなものはいらぬと言ふ人も少しは
あるだらうが、それよりも寧󠄀ろ敎
へる力が無いのである。日本のやう
に恐󠄁ろしく話言葉が發達󠄁し、幾
らでもちがった言ひ方が次󠄁々の世
に通󠄁用して居る邦で、中古の
國文の文法ばかりを穿鑿して居
る學者たち、もっと露骨にいふと活きた
國語を學習󠄁しなかった人々に、
敎員を養󠄁成󠄁させて居るやうでは、
たとへ敎へたい心は山々であって
も、又學びたい少年の願ひは痛切で
あっても、敎へることが出來ないのは
當り前󠄁、敎へられないから利用し
得ないのは寧󠄀ろ憫れである。國に
現代國語の機能用法を、かゝっ
て硏究する大きな施設の、入用だ
といふことは私たちには明󠄁白なのだ
が、たゞその前󠄁には今の國語敎育
の物足りなさを、もう少し汎く全󠄁
國の父󠄁兄に痛感させることが順
序なので、それが爲し遂󠄂げられる
日は待てないから、片端からでもこの
弱󠄁處を補強するの策を、私たち
のやうな微々たる者までが、分に
應じて獻策するの他は無いので
ある。太田君の所󠄁謂白文國語など
も其一案であって、實驗上
是を多數の少年靑年が、面白がって
利用するといふ話は、私には大きな
希望󠄂である。今日の文法などは
暗󠄁記ばかりで、中等學校の生
徒には最も退󠄁屈な科目と認󠄁め
られ、遁げられるだけは遁げ、又
半󠄁數以上はわからぬまゝに通󠄁って
しまふ。それを現代の國語の活
用に振向け得る者などは、恐󠄁ら
くは一人もあるまいと思はれる。だか
らさういふ知識がもし少しでも、
談笑の間に獲得し得られるといふ
ならば、とにかく一應は試みたいと
私は思ふ。但し世間として誤󠄁解
させたくないことは、是はたった一つ
の解決の試みであって、試みて
もし成󠄁績が良く弊󠄁害󠄂が副はな
かったら、一段と力を入れて見よう
といふだけのものである。是に反して
國の國語敎育の效果が擧がら
ず、百遍󠄁讀ませて置いてもなほ
言葉の活用が出來ないといふ事
實は、拔差しのならぬ國家の憂
である。うそならばうそと早く反
證してもらひたく、本當であるな
らば何人も是を棄てゝ置いてはいけない。
昭和六年九月󠄁     柳田國男


「資󠄁料集」に戾る