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三-三 大槻文彥の假名文字論

 明󠄁治十六年、假名文字論者の大同團結が實現し「かなのくわい」が誕生すると、假名文字論に對する批判󠄁が、朝󠄁野新聞、東京日日新聞、郵便報知新聞などに揭載された。その批判󠄁に對して、假名氣違󠄂ひと自稱する大槻文彥が一々反論を加へてゐる。

 先づ十六年四月󠄁、朝󠄁野新聞の雜報で「溺濘生」が假名文の讀みにくいことを指摘すると、大槻は「ヘロヘロ武者にて、當の敵とは思はねど、これも敵の片破なれば」といふやうな高調󠄁子で「言葉と言葉との間を離して記さば、何の讀み難き事のあらん」と反論し、次󠄁いで「溺濘生」が「人名、官名、地名、物名、一々、之ヲ假名ニ改セタラバ、其不都合ハ言ハデモ知レタルコトナリ」と批判󠄁すると、大槻は「目馴レヌトイフ辛抱󠄁モ、暫シノ間ナリ、縱ヒ、一生讀ミ惡クケレパトテ、夫ハ、今ノ人ノ僅ニ三五十年ノ間ノ事ニテ、(直二死ニマス)千萬年ノ後ノ世ノ、諸人ノ助カリハ、如何ン」と答へてゐる。更に「溺濘生」の批判󠄁に答へて「既ニ世人ニ一生ノ辛抱󠄁ヲ生贄ニセヨトマデ勸ムル以上ハ、發起󠄁ノ我等ハ、此道󠄁ニテ死ナントマデニ決心シ居り候フ」と悲牡な決意󠄁を披瀝してゐる。

 次󠄁に十六年十一月󠄁、東東日日で「藪荷眞鍬」が、數回に亙り假名文字を批判󠄁し

*餘は、氏等に忠吿す、假名文の會を起󠄁して、惣假名文を用ひんとならば、宜しく其同志中に限るべし。其同志中の私約󠄁ならば、和文なれ、漢文なれ、若くは歐文なれ、餘は.蓼喰ふ蟲も好々として.毫も頓󠄁着せざるべし、

と、大槻の反省を求めたのに對し、大槻は

*此同志トイフ人數ハ、多少ノ限りハ無シ、全󠄁國皆同志トナラントキモ、同志ハ同志ナリ、其時ニ至ラバ、目下ノ用ナリトテ、君が敎育セル子弟ノ骨折ノ、成󠄁長ノ後二、徒ラニナルベキが氣ノ毒ニ思ハルヽナリ

と反駁してゐるが、大槻は近󠄁々「全󠄁國皆同志トナラントキ」が來ると本當に信じ込󠄁んでゐるのであるから、いかに道󠄁理を盡して說得しようとも、このやうな狂信者に自らを省らせることは不可能なことなのである。

 また朝󠄁野新聞で、同十六年十一月󠄁から十二月󠄁にかけて、大槻は毛山迂夫と論爭してゐる。毛山の、「かなのくわい」の「御趣向ガ、チト手ヌルキ歟ト存ズルナリ」「彼處モ、英語二成󠄁ルハ知レタコトナリ」「英語ヲ學べバ、馬鹿モ賢クナリ、貧乏モ富貴トナリ、卑賤モ顯貴トナルベシ」といふ意󠄁見に對し、大槻は「我が一向專念スル所󠄁ハ、日本ノ學問ヲ容易クセントスルニアリ」「英語ヲ通󠄁語用文トセバ末代マデ、思想モ精神モ、遂󠄂ニ本國ナル英國ノ下二附クベキコトハ、免ルベカラズト知ラルベシ」「若シ、日本ノ狗ニテアリナガラ、外國人ニ服󠄁屬シテ、日本人ニ吠ユルコトアラバ、君ハ其狗ヲ、開化󠄁シタル狗ト思ヒ給フニヤ」と反論してゐるが、二人の論爭を見るに、盜人同士で、お互に相手の盜品を指差しながら意󠄁見し合つてゐるやうなものである。二者共に同じ穴の貉と言はねばならぬ。英語を學べば貧乏が富貴となつたり、馬鹿が賢くなるものなら、毛山に言はれるまでもなく英語は盛󠄁んになり、いづれ邦語は衰退󠄁するであらうから、何も聲を大にして叫ばずともよいのである。また大槻が言ふやうに、日本の學問を容易にすることが目的󠄁なら、卽刻學問を中止せねばなるまい。學問が進󠄁めば進󠄁むほど難しくなることは自明󠄁の理である。難しくなることを恐󠄁れてゐたのでは學問は進󠄁展しない。それほど易しいことがよいと言ふなら、學問を放棄し、複雜な言語文字も捨󠄁て、犬や猫のやうに、日々「ワン、キャン」とか「ニャゴ、ミュー」とでも言つてゐるがよからう。

 更に、同十六年十二月󠄁、朝󠄁野新聞で「局外居士」が「詰ル處ハ空論妄󠄁想ニ歸スル」ことを指摘すると、大槻は「若シ初メヨリ究竟行ハルベキモノニアラズト斷定セバ、我輩が何事ヲナストモ放擲スベシ、何ゾ別ニ駁擊ヲ用ヰン、然ルニ、此ノ駁論ノ囂々タルハ、卽チ我論ノ愈世ニ行ハルベキヲ畏レタル確證トス」と反駁してゐるが、いづれは行はれるもの、或いは行はるべきものと判󠄁斷すれば、「かなのくわい」に參加するであらうし、何も批判󠄁する必要󠄁はないのである。行はれる見込󠄁みのないことを、或いは行ふべきでないことを、無理に行はうとすれば、そこに樣々な障礙が生じ、混亂も一層大きく、惡くすれば致命的󠄁な傷害󠄂をもたらすことにもなりかねないのである。狂信者が見込󠄁みのないことをやらうとすれば、その結果がどのやうなことになるのか全󠄁く見當もつかない。決して「行ハルベキヲ畏レ」て反對してゐるのではないのである。

 また文中で大槻は「反對論旨モ、最早盡キタリト見エタリ、是二於テ、理論ノ上ニハ、我輩先ヅ全󠄁勝󠄁ヲ得タリ」などと述󠄁べて得意󠄁になつてゐるが、國語國字改革論者の中には、よくこの種の稚氣に滿ちた言葉を口にする者があるやうである。この種の人は、國語國字問題を論ずるよりも、もつと單純な「パズル」の問題に頭をひねる方がよいのではあるまいか。「局外居士」が最後に「首陽ノ巓薇蕨ノ間或ハ假名文ヲ以テ取引ヲ望󠄂ム處モ有ラン 幸ニ往󠄁テ休セヨ」と言つてゐる通󠄁り、「假名博士」よ、御伽の國には、或いは假名文を珍重してくれる所󠄁もあるかも知れぬ、その地へ行き假名文字王國でも建設したら如何であらう。

 なほ、「かなのくわい」では、大槻文彥の『かなのくわい大戰爭』の第一册を、同十六年十二月󠄁に刊行してゐるが、それは右の論爭を收錄したものである。(第四册まで刊行された)


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