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四-二十七 「文法上許容スヘキ事項」及󠄁び「國語會」の結成󠄁

 同三十八年十二月󠄁二日の官報に十六項目からなる「文法上許容スヘキ事項」が發表された。その二、三を例にとると、「ヽヽセサス」といふべき場合に「セ」を「略スル習󠄁慣ノアルモノハ之ニ從フモ妨ナシ」、また、「得シム」といふべき場合に「得セシム」としても差支ない、また語句を列擧する場合に用ゐる「テニヲハ」の「ト」は「誤󠄁解ヲ生セサルトキニ限リ最終󠄁ノ語句ノ下ニ之ヲ省クモ妨ナシ」といふやうなものである。またその「理由書」には

*國語文法トシテ今日ノ敎育社會ニ承認󠄁セラルルモノハ德川時代國學者ノ硏究ニ基キ專ラ中古語ノ法則ニ準據シタルモノナリ 然レトモ之ニノミ依りテ今日ノ普通󠄁文ヲ律センハ言語變遷󠄁ノ理法ヲ輕視スルノ嫌󠄁アルノミナラスコレマデ破格又ハ誤󠄁謬トシテ斥ケラレタルモノト雖モ中古語中ニ其用例ヲ認󠄁メ得ヘキモ尠シトセス

とあり、更に國語調󠄁査委員會及󠄁び高等敎育會議の承認󠄁が得られたので「敎科書檢定又ハ編󠄁纂ノ場合ニモ之ヲ應用セントス」とある。

 また文部省が發表した假名遣󠄁改定案に反對する、井上賴圀、中田憲󠄁信、藤󠄁岡好古、白井光太郞、三矢重松などによつて、三十八年三月󠄁「國語會」が結成󠄁された。同會の趣旨は

*國語の獨立は、一國の獨立を明󠄁にするものにして、その盛󠄁衰はやがて國運󠄁の消󠄁長に關す。今輕率󠄁に之が 改定を企てて、その決行を計るが如きは、歷史の何者たるを思はざるものなり。吾人はその由來せる所󠄁を究め、之を將來に考へ、秩序ある進󠄁步を圖らむとし、こゝに國語會を起󠄁せり。同志の士、請󠄁ふ之を贊成󠄁せよ

といふもので、會長には東久世通󠄁禧が就任した。また同會の國語に對する方針は「歷史的󠄁綴字法に由る」「發音󠄁の矯正を期󠄁す」「新字及󠄁び羅馬字說を排す」といふものであつた。


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