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四-三十五 大槻と藤󠄁岡好古の意󠄁見

 六月󠄁十二日に開かれた第二囘委員會において、松平󠄁正直のローマ字を採󠄁用する意󠄁思があるかとの質問に對して、牧野文相は「今日サウ云フ考ハ有ツテ居りマセヌ、此處ニ斷言シテ置キマス」「漢字ヲ全󠄁廢スルト云フ考ハゴザイマセヌ」とはつきり答へてゐる。なほ、伊澤、曾我、岡野、淺田などの質問があった後、大槻交彥が最初に演說を行つてゐる。大槻は先づ

*時代ヲ經テ言葉が變ハレバ發音󠄁が變ハル發音󠄁ガ變ハレパ文字ヲ書變ヘルト云フコトハ自然ノ道󠄁理デゴザリマス、現在日本モ昔ハ其通󠄁リデ、奈良ノ京が山城へ遷󠄁りマシテカラ發音󠄁が變ハリマシテ皆發音󠄁ノ儘ニ書
キ變ヘテ居りマス

と述󠄁べ、「テミズ」を「テウズ」、「マヲス」を「マウス」といふ風に書變へられた例をいくつか擧げ、「鎌󠄁倉室町江戶ヲ經テ明󠄁治ノ現在マデ假名遣󠄁ト云フモノハ全󠄁ク亂雜ナモノデ一定シタコトハ少シモナイ」と斷定し、「人ニ生キ死ニガアル通󠄁りニ言葉ニモ生キ死ニガアル、活キテ居ル人ガ口ニハ活キタ言葉ヲ使ヒナガラ之レヲ書クトキニハ死ソデ居ル假名遣󠄁ヲ用ヰルト云フコトハドウモ當ヲ得ナイコトデアラウト考ヘマス」と述󠄁べてゐるが、當時實際に弘く使用され、立派に通󠄁用してゐる歷史的󠄁假名遣󠄁に死の宣吿を與へるのは、人間を生きたまま埋葬する以上に殘酷󠄁である。また大槻は「何事モ改良スル我邦が知識ヲ傳ヘル唯一ノ道󠄁具󠄁ヲ舊トノ儘ニシテ少シモ手ヲ着ケヌト云フコトハ甚ダ當ヲ得ナイ不思議ナコトヽ考ヘマス」と述󠄁べ、假名遣󠄁の改定を積極的󠄁に支持してゐるが、今日明󠄁日にでも直ちに改良交換の出來る他の文明󠄁の利器と「何事モ改良スル我邦ガ」容易に改良交換をなし得ずにゐる國語國字とは、本質的󠄁に相違󠄂するものであり、その相違󠄂があればこそ、今日に至るもなほ依然として漢字假名交り文が主󠄁流を占めてゐるのであるが、そのことに氣づかぬとは「甚ダ當ヲ得ナイ不思議ナコト」と言はざるを得ない。

 次󠄁いで六月󠄁十九日に開かれた第三囘委員曾において、藤󠄁岡好古は「私ハ此文部省ノ假名遣󠄁ニ對シテ反對ノ意󠄁見ヲ述󠄁べマスガ」と斷り、先づ五十音󠄁圓の說明󠄁から說き始め、五十音󠄁の元の本音󠄁は「アイウエオ」の五音󠄁であり、その五音󠄁の本音󠄁は「ウ」であり、ア行とウ列の十四音󠄁が日本の音󠄁聲原音󠄁といふものであると述󠄁べ、次󠄁いで、ア行、ヤ行、ワ行、それにハ行が下につく時には紛はしくなるが發音󠄁が根柢から違󠄂ってをり、例へば「ゐ」は「ウイ」の音󠄁であるのに、そのことを知らぬために外國の「ウイ」といふ音󠄁を「ゐ」と書かずに「ウイ」と書くやうなことになるのだと述󠄁べた後、更に實例を以て音󠄁と事物との關係、一例を擧げれば「カキクケコ」は聲の形が男の姿󠄁に、「マミムメモ」は女の姿󠄁に似てゐるといふやうなことにまで言及󠄁󠄁してゐる。更に藤󠄁岡は大槻の意󠄁見に反對し、言語が變遷󠄁したといつても、それは「數千言ノ中ニ一ツ二ツ、大槪ノ音󠄁ハ唯語尾ノ變化󠄁、俗言ト雅󠄂言トノ變遷󠄁デアルノデ、決シテソレモ勝󠄁手放題ニ變リテ居ラヌ、ミナ悉ク音󠄁圖ノ規則二依ツテ規則立ツテアル」と論じ、以下その實例をいくつか擧げ、「日本語デ假名ヲ違󠄂ヘルノが百七十八言ヨリナイ、是レハ半󠄁紙一枚書イテ懷中シテ居ツテモ間違󠄂フ氣遣󠄁ハナイ」として、百七十八語の紛はしい假名を項目別に全󠄁部列擧し、假名遣󠄁の困難でないことを證明󠄁し「少數ノ人が寄集ツテ議定ヲスルトカ勝󠄁手ニ定メルト云フコトハ思ヒモ依ラヌ天理ニ背ク」ことであると、內容の如何に拘らず假名遣󠄁を改定することに反對してゐる。


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