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七-〇 戰後の國語國字問題

 昭和二十年八月󠄁十五日、日本はポツダム宣言を受󠄁諾、聯合軍に無條件降伏した。次󠄁いで九月󠄁二日に東京灣頭のアメリカ戰艦ミズリー號上で降伏文書の調󠄁印が行はれ、十月󠄁には東京に聯合軍總司令部が置かれた。なほ九月󠄁三日に布吿された聯合國最高司令部指令第二號中の一項には次󠄁のやうにある。

*日本國政府ハ一切ノ都會自治町村及󠄁市ノ名稱ガ此等ヲ連結スル公路ノ各入口ノ兩側及󠄁停車場步廊ニ少クトモ六「インチ」以上ノ文字ヲ使用シ英語ヲ以テ揭ゲラルルコトヲ確保スルモノトス名稱ノ英語ヘノ轉記ハ修正「ヘボン」式(「ローマ」字)ニ依ルベシ

 早くも、二十年十一月󠄁十二日、讀賣報知新聞は社說に「漢字を廢止せよ」を揭げ、「漢字を廢止するとき、われわれの腦中に存する封建意󠄁識の掃󠄁蕩が促進󠄁され、あのてきぱきしたアメリカ式能率󠄁にはじめて追󠄁隨しうるのである。文化󠄁國家の建設も民主󠄁政治の確立も漢字の廢止と簡單な音󠄁標文字(ローマ字)の採󠄁用に基く國民知的󠄁水準の昂揚によつて促進󠄁されねばならぬ」と論じてゐる。これは、敗戰に伴󠄁ふ物心兩面の混亂した當時の病的󠄁な世相を代表する記念碑のやうなものである。


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