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九-二十 讀賣新聞の「〈新〉日本語の現場」

讀賣新聞は平󠄁成󠄁十四年五月󠄁十三日から「〈新〉日本語の現場」の長期󠄁連載を始めた。その第一囘に「『最近󠄁の日本語はあまりに亂れている』『いや、言葉なんて時代によって變わるものだ』……。若者を中心に廣まっている"新日本語"に、嫌󠄁惡と共感が交錯する中、新たな日本語ブームの波が押し寄せている。背景には何があるのか。日本語は亂れているのか、それともいないのか。『日本語の森』へ、探索と發見の長い旅を始めよう」とある。

 そして、例へば「支店とか(﹅﹅)に連絡とか(﹅﹅)しておきましょうか」といふ言ひ方を取上げ「なぜ『支店に連絡する』と素直に言えないのか」と疑問を呈󠄁し、その背景を探らうとしてゐる。また「今日は用事があるんですよぉ(﹅﹅)」「もう少しお手ごろなヤツ(﹅﹅)もございますが……」といふ例を擧げ「この種の言葉は數限りない。どうしてこういう言葉遣󠄁いが廣まり出したのか。つい使ってしまう理由はどこにあるのだろうか。次󠄁囘からはその『なぜ』に迫󠄁つていく」とあり、以後、良い結果に限定した意󠄁味で使はれる「結果が出せてよかった」といふ言ひ方、或いは「あたし的󠄁にはどうでもいいことで……」「それってよくあるじゃないですか」等々を取上げ、解說してゐる。ただ、現狀報吿、問題提起󠄁といふ點においては意󠄁義があるが、何が正しく、どう言ふべきか、どう表現するのが美しく、相手に不快を與へずにすむのか、言葉の亂れにどう對處すべきか、といふ點においては物足りない感じを受󠄁ける。


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