戾る

追󠄁悼・福田恆存先生

一、預言者にして哲學者

福田先生の人物評󠄁の決め言葉(ファイナル・ワード)の一つが、眞劍ぢやないんだであつた。他人評󠄁のことながら、この言葉を聞く度にその矢がこちらの心にも向かつてくるやうで忸怩たる思ひに驅られたものだ。平󠄁凡なやうだが「眞劍に生きる」ことが福田恆存の生き方そのものであつた。人は戰爭となると眞劍になるものだと言はれたことがあつて、こちらも戰時に空腹でありながら馬鹿力の發揮された例をあちこちで瞥見しゐたことからも納󠄁得できる言葉だつた。戰爭が必要󠄁惡であることをシェイクスピアの臺詞と共に日記の形で書かれ(『新潮󠄀45』平󠄁成󠄁元年)、平󠄁和呆けの連中の間で物議を釀したことがある。武器も持たずに平󠄁然として、ただだらつと……さうなつてしまつた社會を見てゐると嫌󠄁になると眞劍さに缺けた日本に引導󠄁を渡されたのだ。自分の書いた文章で命を落すことがあるかも知れないといふ覺悟はたえず持たれてゐたやうで、それこそ眞劍な、責任ある發言をされ續けたのだ。

一方で、人生に目的󠄁はない、つまり生きてゐることに意󠄁味などはないともあちこちで斷言されてゐる。さう發言する人がゐるにはゐても、話の延󠄁長上ニヒリズムに落ちて、しかし本人は悲しげな顏をしながらも自分の健康を大事にして、のうのうと生き永らへたりすることが多いものだが、福田恆存の場合は、その言葉が自分自身にも向けられ、己を甘やかすことがなかつた。最晚年には、自分の書いた文章になに程󠄁の價値ありやと言はれてゐたが、奧樣の話では、それを實證するかのやうに自分の原稿を庭󠄁で燃やされてゐたさうだ。

おれは何時も本質論に立歸つて考へるんだと言はれてゐたが、ヨブ記のごとき受󠄁難と絕對者への信賴といふ逆󠄁說が人生の本質といふ立脚點であつたと見受󠄁けられた。相對主󠄁義ではだめなのだ、無限循環に陷るだけといふ論點から、逆󠄁に西歐人の絕對に對する構󠄁へ方には敏感だつた。アンチロマンの旗頭ともいへるビュトールの小說を皆で讀んだことがある。現實の細部を二人稱で語るその小說は筆者などにはとても理解の及󠄁󠄁ばないもの、齒が立たない小說だつたが、福田先生の讀後感は、やつぱり絕對者を欲しがつてゐるなといふものであつた。どこからさう讀取れるのか、こちらには見當もつかないことだつた。神は死んだとニーチェに斷言されても、西歐人には神が要󠄁るのだといふのが福田恆存の讀みだつた。

上智大學で敎鞭をとられた時期󠄁があり、その頃に同僚ともいへるロゲンドルフの書いた、轉び伴󠄁天連ロレルの心の動きを扱󠄁つた新作劇についての話を伺つたことがある。ロレルの敎化󠄁した伴󠄁天連娘が奉行所󠄁の若い役人と愛し合つてゐて、その役人が踏み繪の場で見せ掛けのクリストの繪を踏ん付けやうとする。その時娘がクリストの繪を踏むくらゐなら私の顏を踏んでと叫ぶ。愛するがゆゑにその若者は遂󠄂に踏めない。それを目擊したロレル、愛が許せることを萬人を愛したクリストが赦せぬはずはない。ここで私はクリストの聲を聞いたと稱して轉ぶ。爲に百姓達󠄁は皆助かる。誰よりもクリストを愛してゐたユダが原型ともいへる野性的󠄁なクリスト敎の愛がここにある、私を賣れといはれてそれに從つたユダの氣持に對する理解がここにはある。さういつた筋書だつたやうで、そこで福田先生、ロゲンドルフに問ふ。このやうな解釋は無限に繰り返󠄁し得る。地上にヒエラルキーを作つたカトリック的󠄁といはむよりプロテスタント的󠄁ではないか、と。これに對しロゲンドルフ應へる、然り、しかしながら現代の文學にあつてはそのやうな心理的󠄁綾を付け加へなければ、文學として成󠄁立たぬではないかと。その言に福田先生、さもありなんと同意󠄁された由。カトリックの無免許運󠄁轉とは公言されても、正式免許をとるに至らなかつたのはこの邊りの事情󠄁であらうか。この話、實は食事の席でのことで先生なりに多少の酒も召されてゐた。そこで偶々飛出した持てる持てないの話の末の先生の怪氣炎は、女に好かれる丈ではなく、男にも好かれ、萬人から賴りにされ、しかも萬人を愛する、吾こそはクリストたらむが理想、へと發展した。

福田先生の文章はまことに理詰めであり論理的󠄁であつた。逆󠄁說を弄するときにも底には論理が流れてゐた。コリン・ウイルソンが「佛敎はペシミズムだ」と決めつけてゐるといふ話が出たとき、『ミリンダ王の問ひ』にも目を通󠄁してをられた福田先生は佛敎は宇宙觀、世界觀を持つて世界を見てゐるからなとその說には同じられなかつた。論理の筋がとほつてゐると言はれるのだ。それで終󠄁つた話だが、今になつて徒然草の最終󠄁段、二百四十三段の話と照らし合はせられる。兼󠄁好法師が八つの時、佛とはどういふものかを父󠄁に問ふ。佛には人のなりたるなり人は何として佛にはなり候や佛のをしへによりてなるなり敎へ候ひける佛をば、なにがをしへ候ひけるそれも又、さきの佛のをしへによりてなり給ふなり其の敎へはじめ候ひける第一の佛は、如何なる佛にか候へける、すると父󠄁は空よりやふりけむ、土よりやわきけんと笑つて答へ、周󠄀圍の人々には問ひつめられてえこたへずなり侍りつと、そのやうな質問する子供のことを周󠄀圍に自慢げに語つたといふ。論理の芽がここにあるからだ。つまり因果關係を追󠄁はうとしてゐるのだ。原因が結果になりその結果が次󠄁の原因になるといつた因果を逆󠄁にたどると厭でも第一原因=絕對を求めたくなる。因果を基盤とする論理學は古代印度人を嚆矢とするといふが、佛敎にもその考へは入りこんでゐる。一者としての大日如來を樹てざるを得ない、とてもペシミズムといつた感情󠄁で律するわけにはいかないのだ。

舊制高校の集りで福田先生は自分の將來について、職業上の肩󠄁書もレッテルも拒󠄁否する樣に生きたいと答へたとは人もよく知るところだが、生涯その通󠄁りに生き通󠄁したことを考へると、その言葉は、樣々な分野の發言で十年先を豫見してゐたと評󠄁されてゐる福田恆存の、己に對する豫言でもあつたと言へるだらう。二十歲の頃に既に自分の一生を見通󠄁してゐたのだ。旅行の折などに書かされる職業欄には、その折々に文士、批評󠄁家、劇作家などの肩󠄁書を何にするかと樂しみながら書込󠄁まれてゐたことをお供をして目擊してゐる。

飜つて考へるに、このことは、一つの職業名では括れぬほど幅廣い分野で活躍󠄁されたことを證ししてもゐよう。しかもどの世界の發言も卓拔で、他の論者たちから屹立してゐたことは、福田恆存にまともに反論できる言論人がゐなかつたことでも知られる。幅廣い職業の日本人に影響を與へたのだ。

募金の手傳ひに福田恆存の名刺をもつて大會社をいつくか訪問したことがある。名刺に書かれた宛先は經營者だ。もちろん筆者ごときが多忙󠄁な人達󠄁に直接會へることはなかつたが、祕書などと話をしてゐると、大企業の經營者の間でも福田恆存への信賴の高いことが伺へたものだ。國語問題協議會の創立者の一人小汀利得氏にしてもその一人だつたらう。日本經濟新聞社の社長が福田さんの言ふことだからと新しい組織の旗揚げに積極的󠄁に參加したのである。經營者で文藝世界の人間と付合ひのある例がないではないが、それは趣味なり人間關係からのことであつて、文化󠄁運󠄁動に一緖に參加しようとすることはあまり無からう。福田恆存に信賴を寄せた財界人達󠄁は、著作を讀んで同調󠄁したのであつて、ムードや著名度で付合つたのではなかつた。一方で福田先生の方も財界にもりつぱな人はゐるんだと金錢にかかはる人たちを莫迦にされることはなかつた。

職業に就くのに適󠄁性檢査が用ゐられる。それに對し福田先生は適󠄁性檢査で自分の職業を選󠄁ぶとか、適󠄁性を見て採󠄁用するといふのはどうなのかね。適󠄁性に合はない職業についた方が生きてゆくの役立つし、その方が人生面白いぢやないかといはれたことがある。科學者になりたかつたとも言はれてゐた福田恆存の適󠄁性はどうだつたのであらうか。論理的󠄁な論の進󠄁め方から推しても、科學者でも通󠄁用したらう。しかしその發言の幅の廣さから見ても福田先生の場合はさらに人生の萬般に亙つて適󠄁性が發揮されたといへるだらう。全󠄁人だつたのである。いや筆者にいはせると哲學者だつたのである。たえず西洋を意󠄁識して日本の優劣査定に憂き身をやつしてゐる日本の文化󠄁人に福田先生は前󠄁々から警吿を發してゐて、日本人論は早く卒業して、人間について考へるべきだ、そのやうな日本人哲學者が出現するようにと望󠄂んでをられたが、福田恆存こそがその一番の適󠄁任者ではなかつたか。『批評󠄁家の手帖』と銘打たれたが、あれはことばへの懷疑をことばで記した言語哲學の書であつたのではなからうか。

二、聲と耳と目と

もしもしといふ福田先生の電話口の聲を聞いただけで、こちらにも何か力が湧いてくるといつた經驗が何囘もある。電話先の先生の姿󠄁が、瘦焜に喉佛が張出したイメージがすぐに泛んだ。喉の邊りから出てくるのであらうか、聲に豐かな張りがあつて明󠄁瞭、人の耳に快感を與へるものであつた。因に、本國語問題協議會會長宇野精一先生も朗々とした聲で話をされる。九十四といふ高齡になられてものことだ。

福田先生は耳も大きかつた、福耳といへるであらう。聖󠄁といふ字には耳が含まれる、甲骨文の時代からさうだ。

聖󠄁

甲骨文字ではこのやうに書かれてゐて、通󠄁達󠄁した耳をもつてわかりがよい、聰い、あるいは神の聲を聞ける人が聖󠄁の字源だとされてゐる。肉體の耳が大きいだけでない、なにか福田恆存の人物にそのまま當て嵌まる漢字と思へてならない。因に、聰といふ漢字も耳がついてゐる、よく聞き分ける耳を持たないと聰明󠄁とは言へないのだらう。豐聰耳(トヨサトミミ)の皇子が思ひ合される。『演劇入門』といふ本にはエドワード・オルビー作・演出の「動物園日記」觀劇評󠄁で福田恆存はかう語つてゐる。言葉を噴水のやうに撒き散らすジェリーより、默つて聽いてゐるピーターの方に私は遙かに多く耳を傾けてをりました。……そしてオルビーは私のペドルトン(ピーターを演じた役者)評󠄁に同感し、自分は演出家としていつもスピーチ(話し)よりリスニング(聽き)の方が難しく、かつ重要󠄁なのだと役者に強調󠄁してゐると言つてをりましたと。

そのやうな福田先生の謦咳に接してゐたせゐか、まともな耳を持つてもゐない己をさしおいて筆者は前󠄁々から、表音󠄁主󠄁義者は、聽く耳を持たない連中であることは勿論として、そもそも耳が惡いのではないかと疑つてきた。發音󠄁通󠄁りにカナで書けばそれでよいといつた主󠄁張をする人は、人の發する或る聲が如何に微妙であるかに思ひを致さない。「ha」も「a」も「wa」も「ya」も「わ」にしてしまふといつた、ただただ一つのカナに收めるといふ單純作業に狂奔してきた連中だ。

今日では「思う」「思わない」と書いてゐる、これで表音󠄁的󠄁だと思つてゐる。さう思つてゐる人はよほど頭が惡いのか、とにかく自分の喋つてゐる言葉を十分に意󠄁識してゐないらしい。……「思『わ』ない」なんて言つてをりません。「思『あ』ない」の方がずつと音󠄁に近󠄁いと思ひませんか。

とは、福田講󠄁演の一節、「私は」を「わたしやあ」と言ふ人もゐることからも納󠄁得される。表音󠄁主󠄁義者が表音󠄁表音󠄁と擔ぎまはる割󠄀には音󠄁を、聲を大切にしてゐない人達󠄁であることがわかる。福田恆存はそのやうに單純ではない。言葉そのものがアイロニカルな存在だとする言語觀の根柢には、言葉を論ずるのに言葉をもつてすることがどれほどの逆󠄁說であるかに對する深い自覺があつたのである。

福田恆存は芝居の演出で俳優たちと附合つて、觀客に直接傳はる聲を出すための指導󠄁をすることで、絕えず日本語の現場に立合つて來た。そのため、國語問題協議會といつても、表記、文字のことばかりでと御不滿の言葉がもれることがあつた。なぜか言葉の問題は人を狂氣にちかいところまで追󠄁ひやりがちだが、そのやうな人達󠄁は字面だけの日本語で論ずるばかりなのだ。福田先生には、現實の日本語運󠄁用の場があつた、それは藝術󠄁の最高の形、演劇だつた。芝居のせりふを生きたものとし、見聞きする人達󠄁に訴へる力をつけるものとする努力の延󠄁長が日本語論になり日本人論になり、人間論へと展開していつた。

戰後流行の單純な言語道󠄁具󠄁說にはもちろん反對であつたが、それは「言葉は道󠄁具󠄁にしか過󠄁ぎない」と考へる人達󠄁に對してであり、一方「言葉は道󠄁具󠄁なんかではない」といふ立場にも反對であつた。兩方とも道󠄁具󠄁を莫迦にしてゐるからである。福田先生は終󠄁止言葉は道󠄁具󠄁であるべきだといふ立場だつた。人には又逆󠄁說かと寫つたであらう。腕のよい大工ほど鉋や鋸を大切にする、職人は道󠄁具󠄁を粗末にしないものだ、とは常々言はれてゐたことばだ。逆󠄁にいふと、藝術󠄁家乃至藝術󠄁家氣取が嫌󠄁ひだつた。先生は色々な會を設立したり、最初から參加したりされたが、その一つにキワニス・クラブといふのがあつた。聞いたこともない名前󠄁だつたので何故そのやうな會にといぶかつて尋󠄁ねると、優秀な職人を表彰するんだよ、と事もなげに言はれたが、それも職人好きのあらはれだつた。今どきは言葉といふ道󠄁具󠄁を磨󠄁かなくなつてゐるといふのが文筆家に對する忿懣だつた。

假名遣󠄁は單に音󠄁を寫すのではなく語を寫すこと、つまり意󠄁味が目的󠄁とされる、とは橋本進󠄁吉の說であり、福田恆存國語敎室の立脚點であることは論を俟たない。ところが、言ひ過󠄁ぎであらうがと斷つた上で福田先生は、芝居のせりふは語られてゐる言葉の意󠄁味の傳達󠄁を目的󠄁とするものではない。人間の意󠄁志や心の動きを物として表出するのが目的󠄁であり、意󠄁味の傳達󠄁はその手段に過󠄁ぎないとする。假名遣󠄁を透󠄁過󠄁したせりふが、形をもつた物になることが目的󠄁で、個々のせりふの意󠄁味は必ずしもわからなくてよいといふのだ。このやうな言葉の逆󠄁說的󠄁眞實に人はなかなか思ひ至らない。

何囘かお供した關西への旅の最後の折、車中で福田先生は突然、今朝󠄁家內に、あなたの眼はもう死んでゐると言はれたよと笑ひながら語られた。人の眼の內を覗きこんだことなどなかつたが、さう言はれて遠󠄁慮勝󠄁ちに先生の眼をみつめた。しかしそこにあるのは、常にかはらぬ良心を持つた鳥のすずやかな眼だつた。炯々といふより、銳くはあるが奧に、存在の深みを見通󠄁した上での優しさを湛へた眼だつた。一點の翳も見てとれない。その時ふと、かなり以前󠄁に「先生は嫉妬されたことがありますか」と尋󠄁ねたことを思ひ出した。いや、嫉妬なんて感じたことは一度もないねと豫期󠄁した通󠄁りの答が立所󠄁に返󠄁つてきた。嫉妬心を持ち合せない人間は皆無に近󠄁い。それどころか、嫉妬心をばねとしてふてぶてしく生きてゐる者の多いのが現實だ。その例外が福田恆存であつた。己のためを圖るといつた私心が無い。澄んだ、生き生きとした眼をしてゐるはずだ。優越感や劣等感といふフィルターを持合せなかつたので天の聲人の聲をその大きな耳でぢかに聞きとれたのであらう。自己欺瞞とも無緣であつたので、透󠄁き通󠄁る聲で眞實を人に語り掛けられたのであらう。

(やたがひつねを・本會事務局長、文字鏡ネット理事長、元普連土學園敎頭)

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