宇野沿齧シ譽會長の言葉
大正元年(一九一二年)生、平成六年(一九九四年)歿
昭和三十年、東京丸の内を歩く若き福田恆存
撮影 濱谷 浩
(寫眞は濱谷氏著作權繼承者の片野惠介氏より國語問題協議會ホームページのみに寫眞使用許諾を頂きました。茲に記して感謝申上げます。轉載を固く禁ず)
かうして幾多の先學の血の滲むやうな苦心努力によつて守られて來た正統表記が、戰後蒼惶の間、人々の關心が衣食のことにかかづらひ、他を顧みる餘裕のない隙に乘じて、慌しく覆されてしまつた、まことに取返しのつかぬ痛恨事である。しかも一方では相も變らず傳統だの文化だのといふお題目を竝べ立てる、その依つて立つべき「言葉」を蔑ろにしておきながら、何が傳統、何が文化であらう。なるほど、戰に敗れるといふのはかういふことだつたのか。
sc恆存は本會創立者の一人で、常任理事を務めました。
明治三十六年(一九○三年)生、昭和四十八年(一九七三年)沒
「あの漢字假名交り文を以て正則とするといふキャッチフレーズは、國語審議會委員のみならず、文部省をして衿を正さしめた見事なものであつた」(舟橋聖一)
「私はものを考へるときは必らず漢字といふものを思ひ出して考へる、漢字無くしてものを考へることはできない」
「人間はいつ死んでもいいのだ、いい仕事をやれば、誰かが必らずこれを受繼ぐに決つてゐる、だから生きてゐたら一日でもいい仕事を多くするのだ、自分はそれしか考へない」
吉田富三博士顯彰頁目次